この愛が消えてしまう前に

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 聞けば東京生まれ東京育ち、ウィンタースポーツも数回しか経験のない彼は新幹線から降り立った瞬間に銀色世界に圧倒され立ちすくんだという。  川端康成の「雪国」の書き出し、あんな気持ちでした、と。 「あながち間違いじゃないです、『雪国』はここいら辺りがモデルなんです」  雪深い越後、日本酒と温泉と『雪国』が自慢の私が生まれ育った町。 「お泊りは駅前ですか? 後でお送りしますので、それまで温まっててくださいね。後一時間したら私も上がりますし」 「え?! いえ、そこまでして頂かなくても」 「帰る途中です、だってまた30分かけて歩くんですよ? しんどいでしょう? 車で送っていきます」  ここに辿り着いた時のしんどさを思い出したのか、「すみません、お世話になります」と素直に頭を下げる。 「あ、そういえば社長は」  温まりようやく血の巡りが良くなって今更それに気づいた模様。 「ごめんなさい、15時からどうしても外せない寄合がありましてそちらに出向いてしまったんです。なので今日のところは父に代わって私が対応するように、と」 「え?! あ! 渡辺社長のご息女でしたか」  改めてと立ち上がろうとした彼を制して。 「役職なんかないしただの事務員なんでそんな堅苦しい呼び方は止めて下さいね」  遅くなりましたと手渡した私の名刺。 「渡辺冬優(ふゆ)さん?、冬生まれですか」 「はい、1週間ほど前に25歳の誕生日を迎えました」 「じゃあ同い年だ、僕も12月に25歳になったばかりで」 「冬生まれの同級生!」  お互いの共通点に距離が縮まって安心したようにくしゃりと微笑んだ彼と。  目と目があった瞬間に胸の奥でコトリと何かが動く音がした。  遠慮がちで、素直そうで彼の醸し出す優し気な雰囲気が好きだな、なんて。  出逢ったその日には、彼に恋をしていたのかもしれない。  昨年買ったばかりの赤い軽自動車は四輪駆動。  小さなボディで雪をギュッと踏み掴むようにして力強く突き進む。 「夕飯は旅館で?」 「いいえ、せっかく越後に来たのでどこかで美味しい日本酒でもと」 「だったら、私の行きつけで良ければ紹介しますよ」  狭苦しい助手席で小さくなっている彼が信号で止まった私の方を見て。 「一緒に行きませんか?」  車内を温めるためのヒーターの強い風の音といつも聞いている洋楽のボリュームを下げ損ねていたせいで彼が何と言ったのか一瞬わからずにいて首を傾げたら。 「長靴の御礼、……という口実で夕飯付き合ってもらえませんか?」 「あ、是非、あ……、是非と言うか、あの、はい」  しどろもどろになってしまった自分の返事が恥ずかしくて前を向き青信号に変わるのを待つ。  クスリと彼が笑っていたからますます恥ずかしくなった。
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