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「まずは応接室ね」
夢子は玄関からすぐそこの、色ガラスのはまった扉に駆け寄った。ハルと樹もそれに続く。
さっき二人が見た時は、ここは肘掛け椅子と舶来品の机が置かれた、大きなガラス窓のある西洋風の部屋だった。
樹が率先して扉の取っ手を握り、勢いよく開く。
その中は、応接室ではなかった。
それどころか屋敷の中でもない。山々がすぐそこに見える、どこかの田舎のあぜ道だった。
「ええっ!?」
樹が裏返った声を上げる。夢子は何も言わず、きょとんとした顔をしていた。
ひとり、ハルは遠くにある木をじっと見つめていた。
「あの木……」
ハルは駆けだした。その足取りは軽く、まるでこの場所に覚えがあるようだ。夢子と樹も急いでそれに続く。
「やっぱり。おれの村の桜だ。ここはおれの村だ」
夢子はハルと同じように、桜の木を見上げる。すっかり花を終えた桜は、代わりに緑の若葉を揺らしていた。
「あっちに誰かいる」
樹が示す方を見ると、流れの穏やかな川で村の子供たちが水遊びをしていた。樹が「おーい」と声をかけるが、聞こえなかったのかそれに応える者はない。
「もっと近づきましょう」
「そうだな」
近づくにつれて、子供たちには奇妙なところがあるのが分かった。
誰も、きちんとした顔をしていないのだ。
「みんな、へのへのもへじなのね」
夢子は近くの男の子の顔をまじまじと見る。下手な人が書いて、歪んでしまったへのへのもへじだった。
樹は試しに男の子の顔の前でひらりと手を振る。全く気が付いていない様子で、冗談を言ってはけらけらと笑っていた。
急に、川の方がわっと賑わった。夢子たちがそちらを見ると、ひとりの女の子が、着物の裾が濡れるのも構わずに、両手に魚を持って嬉しそうに掲げていた。
「すげぇや!」
口々に褒める声に、別の女の子のへのへのもへじが「当たり前でしょ!」と笑った。鈴の音のように可愛らしい声だった。
「ハルちゃんはお魚とらせたら村一番なんだから!」
これに夢子と樹は顔を見合わせた。ハルがあっと声を上げる。
「思い出した。おれ、魚とりが得意だったんだ」
ぱっと明るくなったハルは、川の中にいる女の子を指さした。
「あれは妹だ。村で一番の美人なんだ」
言われてみれば、ハルが指さす女の子はへのへのもへじながら、他の誰よりも整った顔つきをしていた。髪も絹のように艶やかだ。
「名前はなんていうんだい?」
「名前は……」
樹の問いかけに、ハルは言葉を詰まらせた。その顔が段々と悲しげになっていく。
「……思い出せねえ」
心の底から絶望しているような声だった。夢子はハルの腕を優しくさする。樹は気の毒そうにハルから目を逸らした。
気が付けば辺りは夕方になっていた。魚をたくさん獲った子供たちは楽しそうに土手を上がっていく。
「さっきの桜の下に誰かいるわ」
夢子の言う通り、木の陰に隠れるようにして男の子が立っていた。村の子たちと比べると、はるかに身なりの良い格好をしており、田舎の風景とはちぐはぐに見えた。
へのへのもへじのハルが男の子を見つけて立ち止まる。男の子は何か言いかけたが、運悪く目の前に降ってきた毛虫に驚いて、一目散に駆けていってしまった。
その時、風もないのに桜の木がざわざわと音を立て始める。どこからともなくやって来た青々とした木の葉が三人を覆いつくした――。
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