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夢子が目を開いた時、そこは元の応接室に戻っていた。隣の樹を見ると、夢子の後ろを指さしてまるで鯉のように口をぱくぱくとさせている。
「あら、ハルちゃん。急に背が伸びて」
振り返ると、夢子の後ろには身長が高くなったハルがいた。さっきまで樹と同じ年頃だったのに、今は十五、六のお姉さんに見える。
「あたしにもさっぱりだ」
ハルは突然大きくなった自分の手をしげしげと見ていた。夢子は戸惑う二人の手を引いて、ひとまず廊下に出る。
「考えてもきりがないわ。足跡の続きを辿ってみましょう」
樹とハルもそうだと頷いて、夢子に続く。相変わらず桜の花びらの足跡は、誰に乱されることもなく続いていた。
「次は、大座敷か」
樹の確認に頷いた夢子は、ぴっちりと閉じられた障子に手をかけて思い切り開いた。
やはりそこは大座敷ではなかった。どこかの森の中の、弁当を食べるのに丁度良さそうな広場だ。真ん中には小さな木があり、溶け残った雪に根元を隠されながらも懸命に立っているのが何とも健気だ。
「何の木だろう?」
「……桜だ」
樹の疑問にハルが重い口ぶりで答えた。どうしてわかるのかと聞こうとしたその時、二人分の足音が聞こえてきた。
若い男女だった。顔はまたへのへのもへじだ。男の人はあちこちにはねた髪をしていて、身なりからして裕福な家の若様に見える。女の人はハルだった。
「ハルさん。嫁に来てくれませんか」
いきなりの求婚に、夢子が小さく歓声をあげた。樹もぴゅうと冷やかしの口笛を吹く。
ひとり、ハルだけが悲しそうに小さな桜の木に目をやっていた。
へのへのもへじのハルも、悲しそうな顔で首を振る。
「……妹と、離れたくないんです」
二人は小さな桜を見つめて黙り込んだ。それきり話が先に進まないので、焦れた樹が、何か知らないかと隣にいる方のハルをつつく。
ハルが言いづらそうに口を開いた。
「雪が、降ってな。あの子はあたしが編んでやったわらぐつを履いて学校に行った。でも――」
一旦、ハルは躊躇うように言葉を切り、深くため息をついた。夢子には、泣くのを我慢しているように見えた。
「あの子は、帰ってこられなかった」
冬眠しそこねた熊か、それとも人か。どちらにせよ、雪の多い中でいなくなった娘を探すのは難しい。
結局、ハルの家に帰ってきたのは、片方のわらぐつだけだった。
小さな棺桶に、小さなわらぐつが片方だけ。形ばかりのそれを荼毘にふす間、参列した誰もがこんなに悲しいことはないと涙をのんだ。
「村で桜の木を新しく植える時、そこの根元にあの子のわらぐつの灰を埋めたんだ。桜が好きな子だったから」
夢子が袖でそっと涙をぬぐう。隣にいた樹も、スンと鼻をすすった。
不意に、ハルに求婚した男が口を開く。
「それなら、妹さんも一緒に来ればいい」
夢子は男をぱっと見た。樹はどういうことかと首を傾げ、夢子を見る。ハルはまだ、悲しい顔をしていた。
「この桜を、家の庭に植え替えよう」
真面目そうな顔に似合わず、とんでもない提案だ。小さかろうと、木を植え替えるのは大変な仕事だ。植える場所もそれなりのところを用意しなければならない。
「君が側にいてくれるなら、何も大変なことはない」
男は「どうだろう」と赤くなった顔で呟いて、ハルのことをじっと見た。
ハルは、つられてぽっと赤くなりながら、男の――香一郎の申し入れに頷いた。
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