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夢子は薄暗い廊下に足跡を見つけた。白くほんのりと光る桜の花びらで出来た足跡である。夢子はつま先で足跡をちょんとつつくと、ため息をついた。
今日は東小路家の花見会だ。
東小路家は大層な名家で、和と洋を兼ね備えた大きな屋敷と広大な庭園を持っており、季節を問わず美しい。
とりわけ一本、ひときわ目立つように植えられた桜の木が見事なのだ。
その枝ぶりは、優雅に、それでいて無邪気に天へと腕を広げており、うっすら紅づいた白い花がその枝をふわふわと覆っている姿はまるで地上の彩雲だ。
しかし、東小路に集まった人々にとって、桜を見るというのはただの建前。彼らは庭園には目もくれず、投資がどうの、跡継ぎがどうのと風情も何もない話ばかりしていた。
それもそのはず。普段ならば厳しい行儀作法を求める、当主の東小路香一郎の妻・春子が病に倒れ、欠席していたのだ。客人にも締まりがないのである。
それどころか、春子は香一郎と喧嘩をして離縁を突きつけられ、体調を崩し、もう起き上がることもできないという、不躾な噂すら話の種にしていた。
しかし、大人がどのような話をしていようと、子供にとっては関係なく退屈なのである。
誰も自分に見向きしない。夢子はため息をついた。
せっかくの桜模様の白い振袖が可哀想ではないか。髪には流行りのリボンまでつけたのに。夢子の頭の上で桜色の大きなリボンが揺れる。
こんなに一生懸命めかしこんだというのに、大人は皆、夢子がいることすら忘れてしまったようだ。
唇を尖らせ、頬をこれでもかと膨らしていたら、通りがかった庭師のおじいさんが「こりゃあ別嬪さんだ」と褒めてくれたが、それだけだ。
他の大人達はどうせ暇をしている子供のことなど気にしていない。それなら少しくらい屋敷を歩きまわっても、ばれやしないだろう。
そうして見つけた足跡が、誘うように夢子の足元でぼんやりと光る。夢子は少しだけ足跡に向けて微笑むと、それを辿って歩き始めた。
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