愛するということ

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愛するということ

 一月四日。 今日から又家庭教師のアルバイトが始まった。 午後六時四十分。 青い自転車に乗って翼が出発した。 翼はずっとあの自転車を使用していた。 陽子は買い換えを勧めてみた。 でも贅沢は出来ない。 だから翼は、ノーギアの自転車を愛車だと言って笑っていた。 陽子は何時か日高家で見た翔のシルバーのスポーツタイプの自転車と比べながら、翼を見送っていた。  そんな様子をじっと見ている人がいた。 孝だった。 孝は自営のカフェで雇っているパティシエ目を盗んで、お土産に持参したケーキの土台に睡眠薬どブランデーを入れていた。 又しても孝の悪巧みが始まろうとしていた。  チャイムが鳴り忍が玄関を開ける。 「ちょっとそこまで来たものだから、お義父さんに線香を上げさせていただけたらと。これうちのパティシエの新作の洋酒ケーキですが」 孝はそう言いながら五つ入りのケーキを忍に渡した。 孝の言葉に騙されてつい家に招き入れてしまった忍だった。 その時孝は居間の壁にあるドアホンを確認した。 それは自分の家にもある映像の出るタイプだった。 孝の顔が一瞬曇った。 仏壇で合掌をすませた孝は、忍の案内で居間に通された。 居間では陽子と純子がくつろいでいた。 孝に良いイメージがない陽子は、一瞬たじろいだ。 「お持たせですが」 忍は孝の持って来たケーキの箱を開けて皿に取って四人に配った。 孝の目が輝いたのを、陽子は気付かない。 それは凄まじいほどの一夜の始まりだった。  翼が家に帰って来ると、居間で忍と純子が爆睡していた。 でも其処に陽子の姿はなかった。 テーブルの上には四組の紅茶のセット。 でも一つのケーキは手付かず状態だった。 (僕の分まで用意してくれたのかな?) そう思った。 でも、ケーキボックスにはもう一つ入っていたのだ。 翼はハッとした。 「親父が来た!」 翼は自分自身の言葉に青ざめた。 ワナワナと震えだす体。 翼は必死にそれを庇いながら急いで寝室へむかった。  ベットの上では、陽子は何事もなかったかのように眠っていた。 取り越し苦労だったかと、ホッと胸をなでおろした。 でも何かが違っていた。 下着が一枚だけ外されて、床に落ちていたのだ。 「ウオーー!」 翼は次の瞬間狂った。 半狂乱になりながら、陽子を抱きかかえた。 風呂場までどう運んだのか記憶にはない。 でも、気付いた時にはシャワーで陽子の身体清めていた。 ハッと現実に戻る。 その瞬間孝に対する憎しみが、陽子に対する愛に変わる。 孝に汚されたであろう陽子の肉体。 その全てが欲しくなる。 そして自分も無抵抗な陽子の体を欲望にかられて抱いていた。 鏡に映る翼の姿。 それは夜叉になっていた。 「殺してやる!殺してやる!」 翼は何度もそう叫びながら激しい愛撫を陽子にぶつけた。 汚された陽子の体を自分の愛で清めたかった。 翼は陽子が目覚めるまで何度も何度も発狂する。 そしてその度鬼になった。  陽子は何も知らされず平穏な日々を送っていた。 それでも時々あの夜の、激しい翼の愛撫を思い出す。 虚ろな目を陽子に投げかけ、何度も自分を抱いた翼。 その異常なまでの愛にのめり込んで、自分も燃え尽きるまで淫らに堕ちた陽子。 自分にもこんな激しい感情があったまのかと、陽子は思い出す度赤面していた。  一月中旬に受けたセンター試験に翼は合格していた。 後は本番を待つだけだった。 伝え聞くところでは、翔も合格したとのことだった。 相変わらず翼は必死になって勉強を続けていた。  東大合格発表の日。 会場で陽子は翼の合格を確認していた。 薫と翔の姿もあった。 満面の笑みを浮かべた薫を見て、翔も合格したのだと思った。 (わー!! 初めて見た。みんなの言う通りそっくりね) 陽子が見ている事に気付いた翔は、鋭い眼孔を陽子に向けた。 ――ゾクッ!! 陽子は背中に寒気を覚えていた。  翼は既に狂っていた。 合格しても尚、勉強をやめようとしない。 その異様な執念が、陽子に不安を抱かせた。 時々陽子への愛の深さに押し潰されそうになる。 その度孝への激しい憎悪が殺意に変わる。 翼はもう自分を抑えることが出来なくなっていた。 勉強する代わりに孝の殺害方法を考えた。 どうせやるなら完全犯罪。 翼は真剣に親殺しを企んでいた。  陽子は純子と居間でコーヒーを飲んでいた。 日曜日なのに、忍は出掛けていた。 新年度からの配置転換で、部長になる忍。 そのための送別会だった。 でもそれは名目で、ただ単に飲みたいだけだった。 忍も男だった。 幾ら女房を愛していても、言い出せないこともあったのだ。 愛すればこそ、言い出せないこともあったのだ。 それは、翼のことだった。 忍は翼が心配でならなかったのだ。 でも言えない。 言えるはずもなかったのだ。 忍は翼に二面性を感じていたのだ。 「翼、どうしちゃったんだよ?」 遂に言葉がついて出た。 「え、何何? 東大が合格した甥子さんのこと?」 部下が声を掛けた。  人の秘密は蜜の味。 一言でも話すとたちまち噂になるだろうと忍は思い、それで止めることにした。 それでも部下はしつこく聞いてきた。 「いや、何でもないよ。ただ合格したって言うのに受験勉強をやめないんだ」 「勉強がよっぽど好きなんですね」 「そうなんだ。俺と親父で勉強みてやっていたんだけど、何時もクラスで一番だったんだ」 「なあんだ、ただの自慢話ですか?」 忍はハッとした。 気付かれないようにと思って、予防線を張った行為の愚かさに…… そして安心したように又飲み出した。 「そうだ。アイツ本当に勉強が好きだったんだ」 「羨ましい。そうだ、甥子さんの東大合格おめでとうございます」 一人が言い出した。 「おめでとうございます」 それは全体の言葉になっていた。  此方は居間の二人。 今陽子が飲んでいるコーヒー。 そのコーヒーが…… ある記憶を導き出す引き金になろうとしていた。 脳裏に又あの夜のことが浮かび、陽子は思わず赤面する。 (でも何故翼は……何であんなに……) 思考回路を全開にして、陽子は疑問の糸口を探していた。 そして忘れていた事実を思い出す。 「お姉さん。一月四日のことなんだけど」 陽子は疑問を純子にぶつけようとしていた。 「一月四日?ああ翼さんのお父さんが来た日?」 頷く陽子。 「それが記憶がないの。なんかもの凄く眠くて」 純子は首を傾げる。 「そう言えば私ももの凄く眠くて。確かお義父様の持参したケーキを食べて……」  回想。 居間。 孝。 ケーキ。 激しい眠気。 回想。 風呂場。 翼。 シャワー。 激しい愛撫。 回想。 孝。 激しい眠気。 「あ、あーっ!」 回想。 翼。 『殺してやる! 殺してやる!』 「あ、あーっ!!」 回想。 秩父神社。 『いい娘じゃないか、翼には勿体無い』 「あ、あー〜っ!!!!」 陽子はお腹を押さえた。 生理が止まっていた。 陽子は翼の子供を妊娠したと思いながらも、まだ誰にも告げていなかった。 「イヤーー〜!!!!!!」 陽子はやっと真実に辿り着いて、狂ったようにのた打ち回った。 純子は何が何だか分からずただオロオロしていた。  陽子は翼の激しい愛撫の意味を初めて理解した。 孝に犯された体を清めて、自分の愛で浄化する。 翼の深い愛に感謝した。 それと同時に…… 孝に対する激しい憎悪が陽子の心の中を次第に支配していった。  「お前、東大合格したんだってな」 翔が又訪ねて来た。 でも不意打ちを食らったように、翼は唖然としていた。 全く予想だにしなかった。 翼はそれほど、翔のことなど眼中になかったのだ。 翼の頭の中は、憎くて仕方ない孝の殺害方法で占められていたのだった。 「陽子さんのためか?」 その質問を、自分が東大に入ったことだと思って翼は頷いた。 「何時も僕を励まし、勇気付けてくれたから」 翼は素直に、陽子に対する感謝の気持ちを口にしていた。 「知ってるか?親父の暗示」 翔は急に話題を変えた。 「分かったんだろう?陽子さんと関係を持ったってこと」 翔はワザと大きな声で言った。  「汚い奴だよ、親父って奴は。狙った獲物は例え息子の嫁でも物にする。その上分からないようにしておきながら、下着一枚外しておく」 「誰に聞いた!?」 翼がよろめき立つ。 「分かっているさ!」 翔は翼に挑戦するように言い放った。 「たまたま親父が出て来るのを見て、様子がおかしかったから中に入って見た」 「何っ!?」 翼は翔に詰め寄った。 「親父の奴、やることだけやったら怖くなったんだろう。衣服の乱れを直した。でもそれじゃ面白くないと一枚下着を外しておいたと言っていた」 「聞いたのか?」 翔は頷いた。 でも本当は翔は聞いていなかった。 全て翼を陥れる手段だったのだ。  翔は家の中のカーテン越しに陽子を見ていた。 翼は青ざめた。 もし翔が、一月四日の夜に起こった出来事を話したら…… 陽子はきっと…… きっと陽子は、自分以上に深傷を負う。 そうなることは翼には痛いほど解っていた。 「やめろー!!」 翼は翔を止めようと思わず立ちはだかった。 翼の大きな声に陽子は反応した。 急いで庭に出てみた。 「翼どうしたの? 誰と話していたの?」  突然の陽子の出現に翼は驚き、慌てて周りを見た。 何処にも翔は居なかった。 「あれっ、確かに翔が居たんだけど」 翼は頭を抱えた。 でも翼は、それで良かったと思った。 きっと翔は、陽子の姿を見て逃げ出したのだろう。 翼はそう思い込んでいた。 翼は自信を無くしていた。 精神に異常を来していた。 時々自分が誰なのか判らなくなる。 暗闇の中で何時もさ迷っていたのだ。 翼の精神はボロボロになっていたのだった。  忍のステーションワゴンが国道140号を走っていた。 その車の中には、陽子の運転で中川に向かう翼の姿があった。 翼の東京大学合格を陽子の実家で祝うためだった。 実家に着く少し手前、陽子は急に車を止めた。 「どうしたの?」 翼は陽子の顔を覗き込む。 いきなりキスをする陽子。 「怖いの」 陽子は泣き出した。 「赤ちゃんの事、何て言ったら」 「何言ってるの。赤ちゃんが出来たよ。それだけでいいんじゃない」 翼は陽子が気付いたことをまだ知らなかった。 陽子をこれ以上傷つけたくなかった。 例えお腹の中にいる子供の親が孝だったとしても、自分の子供として育てよう。翼はそう決めていた。  実家には親戚が集まっていた。 翼の合格を褒め称える陽子の父・貞夫。 陽子の妊娠を報告する陽子の母・節子。 めでたい事が二重になり、会場はヒートアップしていた。 午後零時より午後三時まで、二人は確かに善意の人々の輪の中にいた。 これが後に起きる事件のアリバイとなったのだった。 その日。 翼は節子にプレゼントをした。 それは小型録音機だった。 手取り足取り使い方を教える翼。 「使い古しでごめんねお母さん」 翼のその言葉で遂に泣き出した節子。 「あんたは私の自慢の息子だよ」 節子の言葉に翼も泣いていた。  帰りの車の中で陽子は、孝が本当の父親かも知れないことを報告していた。 「何言ってるの? そんなことある分けがない!」 「ごめんね翼。私気付いてしまったの。翼が狂ったように私を抱いた夜のこと。あの少し前お義父さん家に来て、持って来たケーキを食べたら眠くなったってこと」  浦山ダムの見える橋の近くで陽子は車を止めた。 ある有名な旅館の看板の近くで、其処には少し空き地があったからだ。 フラフラと橋の上を歩いて行く陽子。 翼は後を追いかけた。 「私怖い! この子が翼の子供じゃないような気がして」 陽子は激しく自分のお腹を叩いた。 「何するんだ陽子!」 翼は陽子の手を止めた。 「こんな子流れてしまえばいい!」 陽子は泣き叫んだ。  「馬鹿! この子は僕の子だ! 僕達の子だ!」 翼は陽子の唇を自分の唇で塞いだ。 「僕が父親だ!!」 翼は狂ったように陽子を抱き締めていた。 今にも身を投げ出し兼ねない陽子。 必死で諭す翼。 やっとの思いで車に戻った翼は激しい愛を陽子にぶつける。 「そんなに流したいなら僕が流してやる! もしそれで流れなかったら、それは僕の子供だってことだ」 陽子を救おうとして、沿道に面した小さな駐車場で翼は陽子を激しく愛した。 陽子の胎児が誰の子でも良くなった。 それより陽子を守りたかった。 そのために…… 陽子を抱き締めた。 それが、翼のたどり着いた愛すると言うことだったのだ。 翼の激しい愛が陽子の体に突き刺ささった。 でも陽子は悟った。 あの日…… 睡眠薬入りケーキを食べた後で何があったのかを。  翔は前日から、市内のホテルで恋人の加藤摩耶の両親と食事をしていた。 翔が此処を選んだのには訳があった。 自分の家の財産を両親に見せておきたかったのだ。  合格発表の日。翔の隣で飛び跳ねている摩耶を見て、一目惚れをしたのだった。 薫を先に帰して、翔は摩耶に声を掛けた。 「まさか私をこんなに夢中にさせるなんて」 摩耶が言った。 翔は突然立ち上がった。 「お嬢様と結婚させてさい!」 翔は両親の前で手を付き、正式の結婚をの申し込みをした。 翔はプロポーズをするために招待したのだった。 翔が気に入った摩耶の両親は、この申し込みを快諾したのだった。  翌日。 翔が帰宅した時、家に電気が点いていなかった。 異常を感じた翔は両親の寝室に行った。 そこには誰もいなかった。次に居間に行った。 そこで翔が見た物は、血まみれになった両親の遺体だった。 「ありがとう翼。やっと殺ってくれたな。母まで一緒とは、相当恨みが溜まっていたのだろうな。手間が省けて良かったよ」 翔は遺体の前で不適な笑を浮かべていた。 翔はデートの前日から出かけて摩耶と食事をすると事前に翼に知らせていた。 それは両親を翼に殺害させるためだったのだ。  直ぐに警察による現場検証が行われた。 死因は鋭利な刃物による殺傷。 凶器は遺体脇に置いてあったサバイバルナイフと思われた。 (えっー!? サバイバルナイフ? もしかして……あのナイフか?) その後でビニール袋に入った現物を見せられて翔は驚いた。 それは自分が護身用に通販で購入した物だった。 あのオルゴールの底にしまっておいた物だった。 「翼めよくも!」 翔は警察官の前で崩れ落ちた。  サバイバルナイフからは翔の指紋しか検出されなかった。 マスコミは一斉にこの事実を放送した。 《犯行推定時間午後十二時より三時の間》 《容疑者は被害者の長男》 《凶器のサバイバルナイフから指紋検出》 《アリバイ有り》 《トリックか?》 《完全犯罪か?》 ヒートアップした報道も、容疑者翔の釈放で下火になっていった。 前日から摩耶とのデートのために外出していた翔。 おまけに第三者の目撃情報もあった。 いくらトリックを使ったとしても、犯罪は不可能だと結論されたからだった。  次にマスコミは翼を攻撃した。 《容疑者の双子の弟。兄に罪を着せる?》 《今年度の東大合格者!》 《頭脳明晰・東大合格者による完全犯罪!?》  でもその報道は直ぐに下降線をたどった。 叩いた初めの容疑者・日高翔の容疑が完全に晴れ、過剰報道と非難されたがらだった。 翼にも、妻の実家で合格祝いに出席していたと言う確かなアリバイが存在していた。  結局、夫婦に恨みを持つ者の犯罪と言うことになった。 孝が睡眠薬強姦犯として浮上してきたからだった。 テニススクールで目を付けた好みの女性を眠らせてレイプする。 証拠隠滅のために何も無かったかのように偽装する。 被害者に気付かないようにすれば、捕まることはない。と孝は考えて行動していたのだった。  テニススクールに隣接してるカフェ。 此処が悪の巣窟だった。 夫婦殺害現場・日高家の家宅捜索で、大量の睡眠薬が発見されていた。 それと同じ睡眠薬がカフェの一つだけ色の違うシュガーポットの中からも発見された。  睡眠薬強姦魔として、孝が疑われた記録は無い。 それはまるで降って湧いたような勢いだった。 次々と新たな物的証拠が発見されていき、睡眠薬強姦魔として被疑者死亡のまま書類送検されたのだった。  そのため、睡眠薬事件の被害者が夫婦を殺害した可能性が高いと結論したのだった。 実は夫婦の体内から、睡眠薬が検出されていた。 その事実を警察は隠蔽することにした。 マスコミによる犯人探しを防止するためだった。 睡眠薬強姦事件の被害者が事件に巻き込まれるのを防ぐためと、犯人探しを加熱させないためでもあった。  その事件は、摩耶がにアリバイを証明した事によって、両親も知る事となった。 大反対され、別れることを余儀なくされた摩耶。 でもその時、摩耶は妊娠していたのだった。 両親が、日高家には莫大な財産があると知ったのはその直後だった。 両親は娘のためだと割り切って、摩耶を嫁がせることに決めた。  結婚式は摩耶の希望で六月に挙げることとなった。 摩耶も激しく翔を愛していたたのだった。  陽子は大分落ち着きを取り戻していた。 母の節子が陽子の体調を心配して様子を見に来てくれた。 「容疑が晴れて良かったね」 節子の声が優しく響く。 陽子は思わず節子の胸で泣いていた。 「怖かった。翼が連れて行かれそうで」 陽子は母の抱かれて、久しぶりに甘えた。 「陽子の甘えん坊」 節子は笑いながら陽子を受け止めていた。  庭にシロツメクサが咲いていた。 「私は昔……ううん今でも四つ葉のクローバー探しの名人なのよね」 節子はそう言うと、すぐにそれを探し始めた。 「ほら、見つかった!」 節子は手招きをして、陽子を呼びつけた。 「あー、本当だ!」 陽子は嬉しそうに声を張り上げた。 陽子はその幸せの象徴を愛しそうに見つめていた。 恋知らずだった陽子が恋に墜ちて、激しい炎に身を置いた。 そして宿った生命。 不幸な偶然はあっても、この子は翼の子供に違い無い。 陽子はやっとそう思えるようになっていた。 愛すると言うこと。 それは、全ての運命をも背負うこと。 陽子は初夏の陽射しの下で母になる喜びを噛みしめていた。  翼はその頃、日高家にいた。 「お前が殺ったのか?」 単刀直入に翔が聞く。 「違うよ。僕には確かなアリバイがある」 「陽子さんの実家で宴会か? 怪しいもんだ」 翔はサバイバルナイフをテーブルの上に置いた。 翼はそれを見て驚いた。 あのオルゴールの底に貼り付けられていたナイフと同型だった。 「驚いたか? 同じのを又買ったんだ。あのナイフを買ったことは誰にも内緒にしていたんだよ。それが殺害現場にあったと言うことは、犯人はお前だと言う証拠だよ。オルゴールの下のナイフを見たのはお前だけだから」 「そうだな。お前の部屋にあのナイフがあったのを知っているのは確かに僕だけだね」  「俺への腹いせか!」 翔はナイフを構えた。 「殺す気か。一人じゃ何にも出来ないくせに!」 「何っ!?」 翔はいきり立った。 「そうだろう。警察で聞かれて分かったことがある。親父は睡眠薬強姦事件の斉、証拠隠滅のために何事も無かったように細工をすると。でもあの日陽子は下着が一枚外されていた。後で家に入ったお前がしたんだろう?」 翼はテーブルを叩いた。 「ああそうだよ。お前に気付いてもらわなきゃ意味がない」 「僕に親父を殺させるためにか!?」 翔は頷いた。 でも翔にはその記憶は曖昧だった。 陽子の下着一枚を外したのが自分か否かを。 でも翼を挑発したくて、そう言ったのだった。  「その先は容易に想像出来る。お前きっと逆上して、親父の足跡を消そうと陽子さんの体を洗った。その後……」 「止めろーー!」 翼が激しくテーブルを叩いた。 「図星か!?」 翔は勝ち誇ったようき笑った。 「どうせ、自分の愛で清めるとかなんとか言いながらやったんだろ? よくやれるな、あの親父の後で」 その言葉は翼の心に深く突き刺さった。 翼は逆上して、翔からナイフを奪い身構えた。 「お前が悪いんだ」 逃げながら翔が言う。 「お袋まで殺すからだ!」 翔は泣いていた。  「俺は知ってるんだ。お前が本当はお袋が大好きだったって。だから勉強していたってことも。それなのにどうして殺したんだ」 翔は逃げ切れないと悟ったのか、両手を広げて翼を待った。 「いや違う。お前は本当は母さんまで殺して欲しかった筈だ。そうでなきゃ、彼処にナイフは置かない」 それは…… 翼が二親殺しを認めた発言だった。 翼はサバイバルナイフを構えながら、徐々に翔との距離を縮めていった。 翔が母親の遺体を見た時、殺す手間が省けたと喜んだのは事実だった。 翼と翼の母である薫を憎む余り、翔を溺愛した香。 嬉しい反面憎んだ。 産まれて来ない方が良かった。そう思ったこともあった。 それでも母だった。 翔にとっては愛する母だったのだ。  その日、翼は帰って来なかった。 陽子は翼が日高家に行った事実をまだ知らなかった。
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