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本屋からの帰りぎわ、再び二人に挟まれて歩く間に、混乱を極めていた脳内回路は徐々に復旧していった。
結局、映画の試写会については丁重に断りを入れた。
「そこまで図々しい頼みは出来ないし、俺は普通に公開日を待つよ」
高遠は「そうか」と小さく頷き、それ以上は何も言わなかった。
「遠慮しなくても」雫だけはもどかしそうに呟いた。「もしくは、同好会の皆で行くのも楽しそうです。勿論、そうなったら和泉も参加ね」
「あはは……まあ賑やかになりそうなのは確かですね。皆で、か。でも嵐山先輩とかは映画に興味あるのかな。俺、先輩の口から化学実験以外の趣味って聞いた事ないですけど」
「それは、うーん、確かに先輩には映画鑑賞が好きってイメージはないですね。むしろ、この世で一番つまらないものはフィクション作品だとも言っていたような」
「その言い種、先輩らしいな」
ある意味潔いほど偏屈な主義に、肩を竦めるしかない。
「やっぱり嵐山先輩は、映画もお嫌いなのかしら」
雫は心持ちしょんぼりしていた。
近野はふと苦い記憶を思い出す。そう言えば雫と同じ同好会になって間もなくの頃、彼女を映画に誘おうとした事があった。たまたま貰ったからと下手な言い訳に使う為に、二枚の前売り券を懐に忍ばせて、声をかけようとして、しかしあえなく失敗した。
皮肉にも彼女を誘おうと決めた日に、彼女の嵐山への想いに気づかされ、あの二枚の前売り券は、どちらも姉にあげてしまったのだ。
そんな失敗から考えると、数ヶ月越しの今は、またとないチャンスなのかもしれない。
しかしそんな淡い下心はすぐに振り払う。
「分からないですよ。雫さんが誘えば、あの人も別のものに目覚めるかもしれない」
間もなく分かれ道に差し掛かる。二人とはここで別れる事になる。「じゃあ、また明日」小さく手を振れば、雫だけが手を振り返してきた。
「あれ?高遠?」
住宅地への道を歩きだした妹とは反対に、彼はじっと立ち止まって、こちらを見下ろしてくる。
高遠の様子に戸惑っている内に、近野も歩きだすタイミングを見失った。
ふいに彼の片腕がこちらへと伸ばされた。近野は我知らず息を止めて、彼の手の行方を見守った。手は近野の頬を掠めて、右耳の辺りに一瞬触れてきた。
しかし手よりもむしろ、高遠がおもむろに顔を近づけた事に意識をとられた。
「あ、あの」
何故かこの時ばかりは、彼の目を見返す事に躊躇いがあった。
代わりに、自分の鼻の先にまで迫ったワイシャツの折り目と、その下にある首筋の肌色をはっきりと見てしまった。
次の瞬間、高遠はひょいと、唐突に身を離した。
「ごみがついてた」
「……」
高遠の摘まんだ糸屑に、近野は細く息を吐き出し、最後には大きな溜め息が飛び出した。
「ごみなんて、言ってくれたら自分で」
高遠は悪びれもせず、「じゃあな」と素っ気ない挨拶を置いて立ち去っていく。
取り残された近野はのろのろと歩き出し、やがて殆ど走るようにして帰路についた。
──欠片でもおかしな勘違いをした自分が居たたまれない。
高遠がこちらに近づいた瞬間、もしかしてと、変に身構えてしまって──「清二!」「ぎゃあ!」「ひえ!」
悲鳴じみた叫びを上げて飛び上がる。声をかけた張本人さえもつられて悲鳴を上げた。
「ね、姉ちゃん」
後ろから追い付いてきたのは自転車に乗った姉の渚だった。向こうも帰り道なのだろう、姉は三年間、指定された通りのスカート丈を保った公立高の制服姿で、風で乱されて癖がついたボブヘアをおざなりに撫で付けている。飾り気のない眼鏡の奥で目尻を吊り上げ、「何なのよ」と文句を言われてしまえば、返す言葉もなかった。
「いや、別に」
「お化けが出たみたいな悲鳴上げるなんて、あんた、まさか他所で悪いことでもしてきたんじゃないでしょうね」
「してないって。大袈裟だな」
「大袈裟なのはそっちでしょ。まったく、心臓破裂するかと思ったわ」
渚は自転車から下りると、当然とでも言うようにハンドルを渡してくる。もはや姉の横暴さには慣れっこなので、近野も慣れた動作で自転車に股がり、荷台に姉を乗せてペダルを漕ぎ出した。
「あんたが珍しく走ってるから、またジョギングでも始めたのかと思ったのに」
「いや、そうじゃない。今日のはちょっとした気分で」
「なーんだ。脳筋少年が、高校行ったらすっかりインドア地味眼鏡だね」
「それは言い過ぎ。あとインドア地味眼鏡は我が家全員への侮辱だから」
「ちょっと!誰がインドア地味眼鏡だ、失礼しちゃう」
「文字通りだろって」
背中をつねってくる姉に辟易しながらも、同時に感謝した。馬鹿馬鹿しいやり取りをしていれば、煮えそうになっていた頭の中が撹拌されて、冷静になってくる。
「そんな訳ないよなぁ」
高遠和泉が、いくら惚れ薬に浮かされてるからって、インドア地味眼鏡一族の男に──ないないない。
近野はひたすらペダルを漕ぐ事に没頭した。
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