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放課後までまんじりともせず過ごし、やっと終礼を聞いて席を立つと、とにかく一目散に教室を後にして特進クラスへと急ぐ。ちょうど高遠が教室から出てくるタイミングに鉢合わせ出来たのは幸運だった。
「高遠」
呼び掛けに気づいた彼は、少しばかり驚いた顔をしてから、「雫に用事でもあるのか」と教室の中を振り返った。
「いいや、そうじゃない。その、少し相談があって」
深刻な声の調子に気づいたのだろう、高遠は数秒だけ意表を衝かれた表情をしたが、何も訊かずに頷くと、こちらを急かして廊下を進んだ。自然と人の気配のない方向に歩を進める彼は、さすがの洞察力と言えた。
「あ、生徒会、いいのか?」
頭を掠めた懸念を口に出せば、高遠は迷いなく頷く。「俺の事について心配しなくていい。今はお前の相談とやらが先だ」
「……うん」
高遠は冷静だ。ポケットの内側に潜ませた写真についても、打ち明けてしまって構わないだろう。
空き教室に二人で忍び入り、誰の気配もない空間に隔絶された段階になって安堵を覚えると共に、最後の躊躇も生まれた。ここまで高遠を引き連れてきたスピードとは比べものにならないほど、のろのろとした動作でポケットから写真を取り出す。
高遠の目が写真へと向いた。近野の中ではいっぺんに様々な葛藤が湧いてきて、写真を持つ手を彼に向かって伸ばす事が出来ずにいた。
高遠は文句を言わず、しかし膠着もよしとせず、近野の手をとって、その手に握られた写真を静かに取り上げた。
「それ、俺のロッカーに入れられてたんだ」
乾いた唇を無理矢理動かし、どうにか説明する。なるべく平静な素振りを装ったが、意味があったかは定かでない。
高遠は写真を見ても、僅かに眉を寄せただけだった。近野が受けた衝撃の、三分の一も感じてはいなさそうなリアクションだ。
「あのさ高遠、お前……誰かにストーキングされてるんじゃないのか」
思いきって訊ねてみる。
高遠は瞬きしてから、肩を竦めた。
「そうみたいだな」
おざなりな返事に、近野の方が慌てる。「そうみたいだな、って、それだけで済まそうとするなよ」
「ああそうだな、悪かった」
殊勝なほど呆気なく謝られて、近野は勘違いしかけたが、続く言葉に唖然とさせられた。
「俺といたせいで、お前にこういう種類の迷惑をかけるだなんて思ってなかった。これは俺の不注意が招いた結果だ。不愉快なものを捏造されて、写真にされるだなんて、お前にとっては気分が悪いだけだったな。悪かった」
今度は完全に面食らう。高遠のせいだなどと、何故そんな結論に達したのか。
「へ?いや、えーと、違うから。俺の事は別に……なあ、自分がストーカーされてるって分かってたのか?」
「いいや。でもこの手の嫌がらせは昔からされてきた事だ。嫌がらせの被害は俺でなくて、周囲にいる人間に向けてというのが殆どだったが……今回みたいに」
彼にとっては随分後ろめたい過去なのだろうか。苦いものを噛みしめるようにしている姿に、かける言葉を見失う。
「悪いのは目をつけられる隙をつくった自分だと思ってた。高校からはやり直そうと思って、この学校を選んだ。通っていた中学からは、ここに進学する生徒はいないと知って……それで充分に環境も変わったと思っていたんだ。だけど、結局同じ事が起きてしまった。そもそも俺はもっと身の周りを警戒しておくべきだったんだ」
自責の念を強く滲ませた言葉に、ふと気づかされる。高遠和泉が頑ななほど人を寄せ付けないのは、もしやストーカーに執着されてきた過去によるものなのではないかと。
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