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00 はじまり
その年、御手洗高校の文化祭は例年にも増して盛況だった為、生徒会長の喜多村は小さな背丈をぴんと伸ばし、鼻を高くして校内を闊歩していた。
正門から本棟までのレンガ道にはカラフルな屋台が軒を連ね、体育館からは吹奏楽部の奏でる音楽がそよ風に乗って響き渡る。東棟では茶道部の企画した茶屋が行列を成し、講堂では巨大な紙にダイナミックな文字を書く書道部のパフォーマンスが拍手喝采を浴びていた。
さてと、ここまでは順調だと、喜多村は頷いてみせる。抜かりなく校内を巡回し、残るは西棟の見回りのみである。
──西棟はまるで無法地帯。
去年の今ごろ、先の生徒会長が嘆いていた記憶が、ちらりと頭の片隅に甦る。
文化祭に花を添えるような文化部の多くは東棟で活動している。対する西棟を使用しているのは『部』未満の少人数からなる同好会が主で、その同好会もいったい幾つあるのか、生徒会でさえ正確には把握しかねている。
なにしろ御手洗高校では会員一人からでも同好会を立ち上げる事が可能で、中には届け出も出さずに勝手に空き教室を根城にし、同好会活動に励むような輩も多かった。そんな輩が文化祭くらいは日の目を見ようと、自意識を膨らませて爆発させたかのような展示を校舎のあちこちに張り巡らし、押し合い圧し合い、ひしめき合っているのが西棟である。
「なあ、高遠くん」
自分の後ろを着いてくる男子生徒を振り返り、喜多村は苦笑混じりに呼び掛ける。「君の妹さんって本当にここに?」
喜多村に呼び掛けられ、高遠和泉は前を見据えながら肩を竦めた。
二歳年上の喜多村が見上げるほど高い位置にある横顔は、「聞いてくれるな」と語っている。驚くほど秀麗なつくりの顔立ちが、苦味を帯びて眉を寄せると、流氷の如き迫力があった。流石は『氷の王子様』だ。
下から見上げても崩れない顎の線から視線を引き剥がすのは、毎度渾身の力を必要とする。喜多村は正直なところ、この後輩が苦手だ。
高遠和泉は美貌もさることながら、他のあらゆる点においても、とびきり優秀な男である。彼のように一年生でありながら生徒会に入った人間は、基本として役職に就いた先輩に着いて回って雑用をこなしながら、二年目からの生徒会選挙へ向けて人脈作りをしていく。謂わば下積みの、地味なポジションなのだ。
それなのにこの高遠和泉は、そんなポジションに甘んじるどころか、早くも来年の会長候補だろうと噂されている。こうして連れて歩かなければならない喜多村にしてみれば堪ったものではない。通りすぎる老若男女、ほぼ全ての人間が高遠に視線を絡ませるので、喜多村の存在感はどんどん希釈されていくようだ。
気を取り直し、各同好会が提出してきた出し物の資料をぱらぱらと捲りながら、目的地を決める。
「えーと確か、君の妹さんは化学同好会だったか。『あの』嵐山巧太郎の作った同好会だな……所属会員は今のところ三名。嵐山と、君の妹さんと、あとひとりは男子で……名前が思い出せないけど、誰だったかなぁ」
ぼんやりとした印象しかない男子生徒を思い出そうとする喜多村に、高遠は「近野清二です」と短く答えた。
近野清二という名前を聞いても、喜多村はぴんと来ない。名前から受ける印象と同じくらい、地味な生徒には違いないのだろう。自分の事は棚上げして、そんな結論に至る。
それよりもだ。「ん?君は同好会の人間まで把握してるのか。記憶力がいいんだな」
「一応、妹が所属するクラブなので」
「あ、そりゃそうだよな。家で話くらい聞くか。もしかしてだけど、面識もあるの?やつらと」
「いいえ」
硬い表情を浮かべる後輩を見やり、喜多村は階段を上がる。視界に飛び込んできたのは妙に男ばかりが群がる教室だ。入り口の立て看板には『今世紀最大の大発明』と書き殴られている。『大』の字が二つも連なっているところが非常に馬鹿っぽいなと、喜多村は思った。
人だかりの奥から女子生徒の声が響き渡る。溌剌とした声の主は、高遠雫──高遠和泉の双子の妹だ。
「どうか皆様、暫しお静かに。本日はお集まり頂き、誠にありがとうございます。私たち化学同好会が本日発表致しますのは、人類にとっての夢の秘薬、惚れ薬。その効き目の真偽のほど、存分に、目を凝らして確かめていって下さい」
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