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たどり着いた林は鬱蒼と茂っていた。
行商人の情報を確認すれば、この長い林の向こうに小高い丘がありその丘の上で野宿をした時に、淡く光る薬草を見つけたとのことだった。
ただ、行商人たちの間では、その光る薬草は魔除けの効果があるとされていて、少ない本数だったこともあり持ち帰る気にはならなかったとの事。
そんな数本の薬草にも頼りたくなるほど、この辺りには魔物がうろついているとの事だった。
再び目の前の林に目を向ける。
安全なルートはある。
かなり迂回して、ナガミ村の手前の別れ道から行けば、荷馬車が通れるくらいの細道がこの林の先に続いているらしい。
小高い丘を通り過ぎれば、その先にはまた小さな村があるとか。
ただ、そこも魔族領土に近いこともあり行商人くらいしか近寄らないとのことだった。
迂回して進むこともできるが、今は一刻も早く、薬草が欲しい。
母は意を決して、音を立てないように静かに林の中へと入って行った。
腰ほどはある茂みをかき分け、林の中を突き進む。
林に入ってすぐのこと。
ーグルル・・・。
ーシャー・・・。
ーカチカチ・・・。
ーウオォーン・・・。
気配を感じた。何者かの視線を感じる・・・。
獣だけではない。虫らしきもの、鳥らしきもの、蛇らしきもの、狼らしきもの。クマらしきもの。上からも横からも前からも、四方八方から、自分に向けて視線と共に殺気が漂ってくる。
のこのこと、誘引剤となる血の匂いを漂わせながら、餌が狩場へと現れたのだ。
魔物たちからすれば、歓喜の瞬間でしかない。
同時に、ただ人間からすれば・・・それは地獄でしかなかった・・・。
一気に駆け抜けるしかない・・・。
しかし、この弱った足で何処まで走れるか分からない。
この傷んだ手でどこまでナイフを振れるか分からない。
この霞んだ瞳でどこまで見通せるのか・・・。
この掠れた声でどこまで助けを叫べるか・・・。
ー おかあさん・・・。
ふと、子供の声が聞こえた気がした・・・。
次の瞬間、母は・・・走っていた・・・。
全力で、走っていた。
草や枝で傷が増えようが関係なかった。
周りを着いてくる気配など諸共せず、走り続ける。
飛びかかってきたウルフの首に、ナイフを突き立てる。
足元からはいよってきたスネークの頭を踏み付ける。
上から襲ってきたスパイダーの脚を切り落とす。
四方から襲い来る脅威を、愛する我を子を護る母虎のように、軽やかにしなやかに強かに、母は襲い来る脅威を払い退けながら駆け抜けた。
やがて、林を抜け出した母は両手を獣に噛みつかれ、両足に毒を受け、その顔には切り傷や痣で腫れ上がっていた。
もう・・・母の面影はどこにもなかった・・・。
ふらつく足取りで、フラフラと丘を登っていく・・・。
ここにたどり着くまでに、すっかりと夜になっていた。
薄暗く月明かりを頼りに歩む道はでこぼことしており、何度も足を取られそうになる。
一歩一歩、転ばないように丘を踏みしめて歩く度に、次第に力が抜けていく。
息がしずらい・・・。深く吸うたびに、全身に激痛が走る・・・。
毒の巡りは四肢から血が流れているせいか、比較的遅い。遅いだけだ。確実に毒は母の身体を蝕んでいた。
それでも・・・母は立ち止まらない。
薬草を手にして、我が子に届けるまではと、痛む身体を引きづって歩き続ける・・・。
丘を登りきるとそこには自身の背丈ほどの木があった。
まだ、生えたばかりなのだろうか、若木だった。
思わず、その木を見て母はクスリと微笑む。
自分の背丈ほどの木に、将来の息子を見たからだ。
両手で抱えていた小さい子が、いつかは自分の腰ほどになり、目線が並び、いつか、いつかは自身を追い抜いてしまうのだろう。
そう思ったら、おかしくなって、少し笑ってしまった。それと同時に・・・とても嬉しく・・・とても悲しかった・・・。
申し訳なくなった・・・。
木の根元に目を向けると、二十本ほどの薬草が生えていた。
月明かりに反射して、花弁が青白い光を放っていた。
間違いない。喉から手が出るほど求めていた〈月の雫〉だ。
花といえど命あるものを手折ることを心から懺悔し、母は一つ花を摘んだ。
愛する子供のことを想い、一つ花を摘んだ。
愛する夫のことを想い、一つ花を摘んだ。
三つ摘んだところで、ぐらりと視界が歪み、そのまま地面に倒れた伏す。
母の手の中に薬草は確かにあった・・・。
念願叶って手に入れた、子供のための薬・・・。
しかし・・・母の身体は動かない・・・。
瞬く間に血が広がり、どくどくと地面を濡らしていく。
悔しさからか、母の目には涙がとめどなく溢れる・・・。
「シモン・・・。シモン・・・ごめんなさい・・・。こんな・・・母親でごめんなさい・・・。あいしてるわ・・・シモン・・・。世界で一番・・・あなたを愛しているわ・・・シモン・・・。」
掠れた声は風に乗り、母と背丈が同じ木を揺らしていた・・・。
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