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3.陰鬱な晩餐会
「うるさいなぁ。何よ、もう。休みの日ぐらいゆっくり寝かせてよね」
「何よはこっちの台詞よ! 母さんに文句があるなら直接言いなさいよ。こんな嫌がらせして、恥ずかしくないの?!」
(何なの、これ……)
リビングに入って驚く。フローリングの床が足跡だらけだ。私その夜、確かめてみることにした。一体どんなからくりでこんな足跡が残されているのか、を。夜中の二時にアラームをセットして眠りにつく。ピピピ、という電子音で目が覚めた私はそっと部屋を出た。
(あれ……話し声?)
何か人の声のようなものが聞こえてくる。思わず玄関を確かめるが鍵はかかっているし出された靴が乱れている様子もない。と、いうことは泥棒ではあるまい。それでも用心しながらリビングに近付く。明かりは点いていなかった。
(母さん、電気も点けずに電話でもしてるのかしら)
そっと様子を窺ってみる。
「そうなのよ、あなた。真奈ったら会社でそんなことがあったんですって」
カチャカチャという食器の音もする。あ、父さんが帰ってきたんだ、と私は思った。昨日の足跡もやっぱり父さんだったに違いない。きっとこっそり帰ってきてたんだ。気まずくて声をかけられずそのまま出て行ってしまったけど今日は母さんに声をかけた。きっとそうだ。私はドアノブに手をかけリビングのドアを開こうとして……止めた。
(どうして明かりが点いてないんだろう。何かおかしい)
中から父の声は全く聞こえない。聞こえてくるのははしゃいだような母の声だけだ。嫌な予感がした私はリビングのドアを少しだけ開きその隙間から中の様子を窺った。
(……っ!)
思わず悲鳴をあげそうになり両手で自分の口を塞ぐ。それは何とも陰鬱な光景であった。母は薄暗いリビングをうろうろと歩き回りながらひとりお喋りをしている。いつも父が座っていた場所には料理が並べられていた。
「ねぇ、あなた、その骨付き肉の煮込みは好物でしょ? 今日の味付けはどうかしら」
異様にギラギラした目をした母は誰もいない場所に向かって話し続けている。私はそんな母を正視できずリビングに背を向けた。中からは絶えずペタリ、ペタリ、と裸足で歩く母の足音が聞こえてくる。父さんの声なんか聞こえるはずがない。リビングには母さんしかいないのだから。
(母さん、おかしくなっちゃったんだ)
不意に涙が溢れてきた。かわいそうな母さん。でもどうすればいいのかわからない。その夜は眠れないままに過ごした。そして母が起きてくる前にリビングの掃除をする。足跡ひとつ残らないように。
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