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7.おかえりなさい
「真奈ちゃん、いらっしゃい。ううん、ここ元々私たちの実家だものね。おかえりなさい、だ」
笑顔で出迎える姉は少し瘦せたような気もするが特に変わったところはなかった。“おかえりなさい”という口調が母に似てきたな、と思いつつ“ただいま”と返事をして玄関で靴を脱ぐ。その夜は他愛もない話をしながら食事をし、私はリビングの向かい側にある客間に布団を敷いて眠った。
(何か大丈夫そうね。昨日はたまたま疲れがたまっていて夢遊病みたいになってただけなんじゃないかな)
自分にそう言い聞かせ、何事もなく朝が迎えられるように祈る。だがその祈りが聞き届けられることはなかった。
――カチャン。
私は飛び起きた。食器の音だ。向かいのリビングから聞こえる。スマホを手に取るが指が震えてなかなか画面ロックが解除できない。ようやく画面を開き時間を確認する。深夜二時。あの陰鬱な晩餐会が頭を過る。私は客間の扉を開け足音を忍ばせてリビングに向かった。やはりリビングの電気は点いていない。あの晩と同じだ。そっとドアを開き隙間から中を覗きこむ。
「真奈、遅かったじゃない」
突然話しかけられ私は飛び上がった。真っ暗なリビングから姉の声がする。
「ほら、早く入りなさいな」
おそるおそるドアノブに手をかける。つるり、と手が滑り掌が汗でびっしょり濡れていることに気付かされた。
「さ、早く早く。中に入って。あんたの分もすぐ用意するから」
リビングに入った私は言葉を失った。真っ暗な中、食卓に並ぶ食器。家族で使っていたダイニングテーブルはリフォーム時に捨てられ新しいものになってはいたが、昔父と母、そして姉が座っていた席に食器が並べられている。慌ててリビングの電気を点けた。
「やだ、眩しいじゃない」
姉がそう言ってケタケタと嗤う。床を見た私は愕然とした。到底一人でつけたとは思われないほどの無数の足跡。
「ちょっと真奈、早く座りなさい。全くあんたって子は勝手に一人暮らしなんか始めちゃって。でもやっぱりお家が一番だと思って帰ってきたんでしょ?」
さっきから気になっていたが姉が私に話しかけるその口調。それはいつもの姉のものではなかった。
(母さんの話し方にそっくり)
よく考えたら姉は私を必ずちゃん付けで呼ぶ。呼び捨てにするのは母だけだ。何も言えずに立ち尽くす私を姉はギラギラした目で見ている。その表情はあの日、リビングで一人陰鬱な晩餐会を開いていた母そっくりだった。姉の顔に母の顔が重なって見える。彼女はニタリと嗤って呟いた。
――おかえりなさい。
了
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