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1.母
私の母は所謂“潔癖症”というやつだったように思う。いつもどこかを掃除していた。私が中学生の頃に建てられたマイホーム。綺麗にしておきたい気持ちはわかるが母はやりすぎだった。少しでも部屋を汚そうものなら小一時間ばかり説教をくらうことは当たり前。父はいつもうんざりした表情で母の小言を聞いていた。
私が高校に上がったあたりから父はだんだん家に帰らなくなった。最初の頃は残業があるから、出張があるからと言っていたがやがて何も言わず外泊、あるいは帰ってきたとしても深夜、そんな日々が続いた。当然母の機嫌は悪くなる。私は母の逆鱗に触れないよう息を潜めるようにして暮らしていた。だが私より三つ年上の姉、美香はそんな母の小言にも頓着せず平気で部屋を散らかしては母に怒鳴られていた。やがて母も諦めたのか姉には何も言わなくなっていく。そんな姉も昨年二十六歳で結婚し家を出た。姉が結婚し私も就職が決まってしばらくすると、父は自分の義務は果たしたとばかりに遂に全く家に帰ってこなくなってしまった。
「ただいま」
「おかえりなさい、真奈。あんたまたスリッパ履かずに部屋の中歩いたでしょ!」
おかえりなさいと共に小言が始まるのはよくあることだ。仕事で疲れているのにうんざりする。父が帰ってこなくなった理由がわかるような気がした。
「ああ、ごめんごめん。夜中トイレ行くときに、つい。でもトイレ行っただけよ」
「嘘おっしゃい! リビングが足跡だらけだったわ!」
裸足でフローリングの床を歩くと皮脂で汚れがつく。母はこれが大嫌いだった。確かに昨夜トイレに行く際スリッパを履き忘れた。でもリビングなんかには行っていない。我が家のリビングには硝子の嵌った木製のドアがついていて、明かりが点いているかどうかはわかるしドアの下に隙間があるので声は聞こえるがドアを開けないと中の様子を知ることはできない。私は昨夜リビングの前は通ったが明かりは消えていたように思う。
「知らないよ。リビング電気消えてたし。ああ、その後夜中に父さんが帰ってきたんじゃないの?」
言ってからしまった、と思ったがもう遅い。室温が三度ぐらい下がったような気がした。
「父さんなら昨日も帰ってきてませんっ!」
バァンと凄まじい音を立てリビングのドアを閉めると母はどこかに行ってしまった。
(何なのよ、もう。あんなんだから父さん帰ってこないんでしょうが)
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