駅前マスターは名探偵 #足あと

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駅前マスターは名探偵 #足あと

 足あととは、誰かがそこを歩いた後に残る足の形。また、そこに存在した誰かの残痕を指す。  一昔前までは足あとと言えば、探偵や刑事が犯人の行方を追うための手がかりとして使うイメージが強かったが、最近では、他者が自分のSNSを訪問した後に残る閲覧履歴、という認識のほうが主流らしい。  俺は断じて一昔前の人間ではないが(まだ三十代だし)バーテンダーという職業柄、どちらかというと、他人の思考や痕跡を辿るための手がかりとして使うことのほうが多い。  玄関のドアを開けると、外から流れ込んだ肌を刺すような冷気に、ぶるりと体が震えた。羽織ったダウンジャケットのファスナーをきっちり上まであげて、フードを被り、玄関ドアを施錠する。  真っ白な空からはしんしんと雪が降り注ぎ、珍しく辺り一面を雪景色に変えていた。雪が降る地域と違って碌な除雪能力のないこの街では、中途半端なみぞれ状になった雪を道ゆく車が跳ね飛ばし、道路の汚れと混ざり合って悲惨な状態になっている。こんなビシャビシャの道路では、足あとなんて到底残らない。  今日は暇かもしれないな、と思いながら、雪で白くなった外階段を一歩ずつ慎重に降りる。いつもは靴底が当たるたびにカンカンと心地良い音を立てる階段が、今日はサクサクと新鮮な音を立てていた。  一階の店の扉は氷のように冷たかった。客にこの取っ手を掴ませるのは心苦しいが、夏のように扉を開け放しておくわけにもいかない。今日みたいな雪が降るほど寒い日は尚更。  店の暖房をつけて、カウンターの中に入りスタッフルームへと進む。ダウンジャケットを脱ぎ、ワイシャツの上にベストを着て、手早くエプロンを腰に巻いた。 「さて、今日も始めますかー…」  目の前の大きな姿見に映る、髭の似合う渋いイケメンが、この俺、水無瀬(みなせ)慎司(しんじ)。都心の駅前に店を構えるBARスルースのマスター。  人は俺を、探偵バーテンダーと呼ぶ。  探偵にもいろんな種類がいる。飲食店に中華やフレンチやイタリアンなどがあるのと同じく、探偵にだって、警察に協力する者、身辺調査を専門とする者、迷い猫の行方を追う者、会社に個人、色々だ。  そんな中でも俺は特殊だろう。なにせ、自分で探偵を名乗った覚えはない。常連客たちが勝手に呼び始めたのだ。  グラスのふちにグレープフルーツを添え、上に花を乗せた可愛らしい青のカクテルを女性の前に差し出す。カランと音を立てて氷が傾き、初めてバーに足を踏み入れたと言う女性は嬉しそうに声を上げた。 「わぁ、可愛い!」 「チャイナブルーです。お酒に強くない人でも、美味しく飲めるカクテルだよ」  よほど嬉しいのか、スマホで写真を撮るその姿を隣で見守っている彼氏のほうには、ミントの香り爽やかなモヒートを出す。  口をつけて、本当にアルコールが入っているのか疑わしいほどの飲みやすさに、女性は驚いて目を見張った。 「え!?ジュースみたいで美味しい…!バーって入ったことなかったけど、こんなに美味しいお酒飲めるならまた来たいかも」 「気に入ってくれて良かった。俺も連れてきた甲斐があったよ」  若いカップルの仲睦まじい様子を邪魔するのは野暮だろうと、使った道具と共にシンクのほうへ下がろうとする。しかし、別の客のところへ移動しようとした俺を引き止めたのは、あろうことかカップルの男性のほうだった。 「この人、前に話した探偵のバーテンダーさんだよ」 「えっマジ!?この前ネットでめっちゃバズってましたよね!?」 「俺はただのバーテンダーのつもりなんだけど、みんなそう呼んでくれるんだ」 「またまた謙遜して。マスター、いつものやつやってよ」  その言葉に、女性は期待の眼差しをこちらに向ける。「どうしようかなー」と困った笑顔を返しつつ、俺は心の中でも本当に困っていた。  彼の言う「いつものやつ」だが、決して百発百中ではないし、俺もプロの探偵ではないのだ。二人のせっかくのデートに水を差すようなことはしたくない。  とはいったものの、他の客も少ないこの状況で、逃げられる気もしなかった。 「うーん。わかった、ちょっと待ってね」 「やった!」  喜び、今から何が始まるのかとそわそわする彼女と、隣でにやにやしている彼氏。二人のことを上から下まで眺めて、腕を組んで考える。話を振ったのだから彼氏のほうはこちらに協力的なのかと思いきや特にそんなこともなく、しかし、彼女はまるで無防備だった。  ひとつひとつ、彼女の姿から拾うことのできる足あとをたどって、こんなもんかな、と思った最後にふわりと鼻腔をくすぐる甘い匂いに気付き、うっかり笑いそうになってしまった。 「うん。よし…じゃあ、聞いてくれるかな?」 「お願いします!」  わくわくとした様子でこちらを見る二人に、軽く咳払いをする。 「あー、二人とも、今日はかなり久々のデートだったね。ショッピングと、今流行りのアニメ映画を観て、ディナーを食べてきた。場所はここから少し歩いた先の文藝ホテルだ」  ポカンとする彼女の横で、彼氏はこちらに向かって手を叩いた。 「さすがマスター!全部当たり」 「え?なんで??マスターもホテルにいたの??」 「簡単なことだよ。今日の雪は予報されていたのに、君はスカートにパンプスを履いてる。歩きづらさや寒さを我慢してでもオシャレを優先したいほど、今日は特別なデートだった。でも、彼から何かプレゼントをもらった様子はないから、記念日というわけじゃない。それなら、久々のデートだから気合を入れたかった…くらいの理由が妥当だろう」  タイツは履いているようだが、それでもこの寒空の下でスカートなんて、見ているこちらが寒くなる。こんな寒そうな服を年中着ていられるなんて、女性の身だしなみにかける執念は見上げてしまうものがあると、俺は常々思っていた。 「君たちがここに座ったとき、食事はいらないと言っていたから夕飯は済ませたんだろうと思ったし。彼女のバッグには映画の特典キーホルダーがついていて、何より、君たち二人からあの映画館限定のポップコーンフレーバーの香りがするんだ」  文藝ホテルシネマ限定の、ベリーチョコレートの香り。指摘された二人は慌てて自分たちの手や腕の匂いを確認した。 「うそ!自分じゃ全然わかんない!」 「本当だよ。でも、何でショッピングまでわかったの?俺たち買ったものはロッカーに預けてきたから、持ってないのに」 「それは…」  言葉を途中で切って、カウンターの下の小物入れに手を伸ばす。そこから取り出した絆創膏を、彼女の前に置いた。 「お姉さん、靴擦れしてるね?ここに来てからずっと足を痛そうにしてる」 「えっ…!?」  驚く彼氏の視線の先で、彼女はしまった、という顔をしていた。 「うん……実は、夕方あたりから痛くて。せっかくのデートだし、気を遣わせたくなかったから…」 「そんな、言ってくれれば良かったのに」 「あのショッピングモールを歩き回ったなら、靴擦れが起きるのも納得だよ。後ろの右奥がお手洗いだから、この絆創膏使って」  絆創膏を受け取り、「ありがとうございます」と一言残して、痛そうな足を軽く引きずりながら彼女が化粧室へ消えていく。その姿が見えなくなった途端、俺は一枚のリストを彼氏の前に差し出した。 「これは…?」 「タクシー会社と、この辺のホテルの一覧だよ。雪の中、あの足で電車で帰すのは可哀想だから。……車を呼ぶのかホテルを取るのかは、もちろん君次第だけどね?」  俺の言葉に顔を赤くして、リストを見ながらスマホで周辺の地図を確認し始めた彼氏をおいて、俺は今度こそ二人の席から離れてシンクのグラスを洗い始めた。  初々しい恋人が一組、互いのことを想っているからこそ、気を遣い過ぎてしまったり、すれ違ったりもするだろう。ただ、何度間違えて失敗したって、同じだけやり直したらいい。積み重ねた失敗も成功も、愛し合う二人の立派な足あとだ。 「ちょっとマスター、今日もモテモテじゃーん。(あきら)君にチクッちゃおうかなぁ、きっとヤキモチ妬くよー」  どうやら、恋に迷う困った迷子が、まだ一人いたらしい。  先ほどのカップルから離れたカウンターの一番端で、一人グラスを傾けるのはこの店の常連男性。洗い終わったグラスを拭きながら、俺はその常連客の前に移動した。 「勘弁してよ、リク君。あいつ純粋だからすぐ誤解するよ」 「いいじゃん誤解されても。そのほうが二人とも燃えるでしょ?」  ウイスキー片手に笑う彼はリク君。よく幼馴染と二人でこの店に酒を飲みに来る。彼が一人でいるのは珍しい。 「イツキ君はどうしたの。いつも二人一緒だからリク君だけなんて新鮮だな」  磨いたグラスを光にかざして確認する俺を、恨めしそうな目で見て、重いため息をつく。聞かれたくなかったのかもしれないが、少しばかり揶揄われた仕返しだ。 「…わかってんのによく言うよ…。イツキ、さっきまでここにいたでしょ」 「どうして?」 「このボトルがカウンターに置いてあるから。イツキの好きなやつじゃん」  リク君は目の前に置かれているボトルを指でつつく。俺は客に酒を出すときに、その銘柄を覚えてもらいたいという気持ちも込めて、提供した酒のボトルを客の前に見えるようにして置く。  彼にウイスキーを出した後、前の客のボトルを下げることを忘れていた。 「さすが、恋人のことになると探偵顔負けだね」 「それ馬鹿にしてる??」  目敏く恋人の足あとを見つけた彼は、苦笑して、手元のグラスの中で転がる氷を眺める。彼らは幼い頃からずっと一緒にいる幼馴染であり、親友であり、いわゆる同性カップルだった。 「……なんかさー、イツキが俺に何か隠してるっぽくて」 「うん」 「……。…浮気、されてるかも」  おや、穏やかじゃない。  どおりでいつも明るい彼が珍しく落ち込んでいるわけだ。 「それは何か根拠があるのかい」 「いや、ないけど。でも今までこんなことなかったから、どうしたらいいかわかんないんだよねー」  悪い想像を打ち消すようにウイスキーをあおる姿を見て、俺はつい一時間前に、同じ席で同じように酒を飲んでいたイツキ君の姿を思い出す。  一人で来て、グラス片手に彼は真剣な顔で何かを調べていた。あれは浮気なんて卑しいことをしているときの顔じゃない。 (違うと思うけどなぁ)  ここでリク君の考えを否定して、無闇に彼の気持ちを惑わすのは懸命じゃないだろう。サービスのミックスナッツをいつもより少し多めに盛って、彼の気が済むまで愚痴に付き合った。  都心に雪が降ることは滅多にないものの、降らないからこそ、積もった雪はいつまでも放置されて溶けずに残っている。その日、店内の定期清掃のために日の高いうちから店へ下りた俺は、ゴミ袋を外へ出そうと裏口の扉を開けた。  店の入り口が面しているのは人通りの多い大きな道路だが、裏口を開けると、そこはあまり人が通らない細い路地だ。  特に、雪が残る日にわざわざこんな路地を選んで通る人はいない。だからこそ、薄く平らな雪の上に残る足あとが、やけに目立って見えた。  大きさからして男性の、二人分の足あとは裏口の前を横切って、ゴミ置き場のほうへ向かっていく。ゴミ袋を運びながらなんとなくその足あとを追っていくと、足あとはゴミ置き場の前で一度止まっていた。  そして、その足あとの周りに、赤い血痕のようなものが散らばっていた。 「おっと……これはちょっと…」  いくらなんでも傷害事件は専門外だ。しかし、このゴミ置き場は店の敷地内になる。もし何か事件が起きたならば、店主として放って置くわけにはいかない。  持っていたゴミ袋を置いて、俺はその足あとを更に追いかけた。ポタポタと少量の血痕を残しながら、二人分の足あとは大通りのほうへと曲がり、店の周りをぐるりと一周する。  そして、そのまま吸い込まれるように店の入り口から店内へと続いていた。大通りに出た時点で足あとは消えてしまったが、僅かな血痕が店の中へ続いているから間違いない。  なんてこったと思いながら、おそるおそる店の中を覗き込んだ。大柄の男性だったらどうしよう。最悪の場合、逃げて駅前の交番へダッシュするしかない。  しかし、店内を覗いた俺を待っていたのは、よく見慣れた二人の若者だった。 「あっ!マスター!」 「良かった、まだ早い時間だからいないかと思いました」  いやいや、店の鍵が開いてるんだからいるだろう。  二人の若者、リク君とイツキ君は、俺の顔を見て安堵した表情を浮かべていた。 「二人ともどうしたんだ。店は夕方まで開かないよ」 「違うよ。裏の店のゴミ置き場に、こいつが…」  リク君が両腕を広げると、そこにはまだ生後半年にも満たないであろう小さな子猫がいて。広げられたリク君の左手は、子猫に引っ掻かれたのか、出血して赤く染まっていた。 「うわ、猫は元気そうだからいいけど、その傷は消毒しないと。ちょっと座って待ってて、救急箱取って来るから」  二人と一匹をテーブル席に座らせて、俺は救急箱を持って来るためにスタッフルームに向かった。 「バイ菌が入ってるといけないから、夕方にでも病院で診てもらうんだよ。猫のほうは、駅前の動物病院があと三十分で午後の診察開始するから、それまでここでゆっくりしてったらいいよ」 「すいません、ご迷惑おかけします」  俺に応急処置されるリク君を心配そうに見守って、イツキ君が頭を下げた。無邪気で明るいリク君とは対照的に、イツキ君は真面目で静かな性格をしている。 「いいよ、このくらい。猫ももう寒くないみたいだし、良かったな」  抱えられていた子猫は、暖かい場所で水を与えられて安心したのか、リク君の膝の上でゴロゴロと喉を鳴らしていた。 「でも、その猫どうするんだ?病院に連れて行って検査しても、その後の引き取り手がいないと困るだろう」 「そこなんだよ。俺のアパートはペット禁止だし、そもそも一人じゃ面倒見れないし…」  猫を優しく撫でながら、リク君が悲しそうに視線を落とす。しばらくうちで預かって、客の中で新しい飼い主を探してもいいが……と言おうとしたのだが、突然立ち上がったイツキ君の言葉に遮られてしまった。 「それなら、二人で世話をすればいい」 「へ?」  予想していなかった言葉に、リク君はポカンとした顔でイツキ君を見上げる。いたって真剣な表情のイツキ君は、何か意を決したような目をしていて、冗談を言っているようには見えなかった。 「いや、何言ってんだよ。お前が俺の家に通うの?さすがに毎日は…」 「だから、そうじゃなくて」  唐突に始まったやり取りだったが、俺には彼が何を言おうとしているのか、すぐにわかった。 (いいぞ、頑張れ。言うなら今だ)  思わず拳をぐっと握って、イツキ君にエールを送ってしまう。俺の視線に気付いたかどうかはわからないが、深呼吸をした彼は顔を真っ赤にして、必死に声を絞り出していた。 「猫が飼える部屋に、引っ越せばいいだろ。……二人で一緒に」  今度こそ、文字通りあんぐりと口を開けた顔のまま、リク君は完全にフリーズした。浮気を隠していると思っていた恋人が、本当に隠していたのは、二人の愛の巣を構える算段……同棲計画だったのだから無理もない。 「おじさんとおばさんには、俺がちゃんと挨拶に行くから。その子と俺たちで一緒に住もう、リク」 「ちょ…、ちょっと……マジ…?」  頭がついていかない様子のリク君を他所に、一度走り出したイツキ君は止まらない。けれど、何を悩む素振りもなく、同じように顔を真っ赤にして、リク君は首を縦に振った。  喜びのあまり勢い余ったイツキ君がリク君に抱きつく姿を見て、俺は気付かれないようそっと席を立ちスタッフルームに引っ込んだ。  若い恋人たちの熱い恋愛模様に、冬だというのにこちらまで暑くなりそうだ。  パタパタと手で顔を仰ぐ仕草をして、ふと裏口の窓から外を覗くと、まだ二人の足あとがそこに残っている。  二人は現在に至るまでの長い間、それこそ恋を知るよりもっと前から、こうして足あとを並べてきたのだ。時には少し離れたり、また近寄ったりしたこともあったのかもしれないが、今後はもう離れることはないだろう。そして、今日からそこに小さな肉球の足あとも添えられる。  何はともあれ、丸く収まって良かった。そう思い、安心した俺はやっと本来の目的だった店内の定期清掃に取り掛かる。  後日、リク君と二人で店を訪れたイツキ君に「あのとき猫の引き取り手の話題を振ったのは、俺に同棲の話をさせるためだったんですね!いつから気付いてたんですか!?」と、また名探偵に仕立て上げられてしまったのは、別の話。
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