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手がかじかむ寒さも気にならない。 軽快な足取りで、自宅に向かう。 始発はもうじき出るだろうが、世界が薄明を迎えるこの空気感が好きだ。 それに下手に電車に乗るより、直線距離では歩いた方が近いかもしれない。 彼女と熱い時間を過ごすお陰で、仕事に対するモチベーションが上がり、感情にメリハリが生まれる。 イヤフォンを耳につけ、今度ドラマで演じる歌手の歌をスマホで再生した。歌詞を暗唱するだけでなく、歌手の気持ちになっていく。集中力が高まっていくのを感じる。 だからウッカリ彼女に電話するのを忘れた。 「えっ!彼処から出る?」 数日後彼女から携帯で報告を受けた時、一瞬僕は怪訝な気持ちになったが、 「うん。今マネージャーさんに部屋探して貰ってるの。何か希望あるって聞かれたけど、寝に帰るだけだし…翔琉の近くが良かった?」 彼女の最後の言葉に相好を崩した。 やっと出てくれる。 敷地内で津久井とかち合う事はなかったが、出入りする度に居心地が悪かったのは事実だ。 「いつ頃?」 「んー、部屋が決まり次第かな」 「引っ越し、手伝いに行こうか?」 「衣装だけだからマネージャーさんと2人でどうにかなるよ。それより新しく揃える物が多そう」 「家電とか?」 「そうそう!」 「一緒に見に行く?」 こんなごく普通の恋人らしい、甘酸っぱい会話は楽しかった。 だから何故、彼女がお気に入りの温室から出る決断に至ったか、この時僕は疑念を持たなかった。
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