ゆきわらしが帰る日に

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「……君、どこから来たの?」  少年はか細くてふわりと浮きそうな、不思議な声をしていました。雪を生む灰空のような、珍しい色の瞳でちえちゃんを見据えます。 「どこからかわかんない」  ちえちゃんは返します。すると少年はがってんしたように黙り込んで、さふ、さふ、さふ、とちえちゃんの前に近づいてきました。 「そっか。無意識に迷い込んだんだね」  ちえちゃんが首を傾げていると、少年は「安心して」と、静かに目を細めます。   「大丈夫、僕は人に危害を加えない」 「きがい?」 「……まあ、僕みたいなやつは、たまに人間にいたずらするからさ」 「おばけ?」 「うん、でも悪いことをしないおばけ、かな」  悪いことをしないおばけなら怖くありません。ちえちゃんは少しほっとしました。誰もいない、黒い木ばかりの雪原に一人でいるのは心細かったのです。 「僕が通りかかってよかったね。ちょうど里帰りの途中だから、送ってくよ」 「さとがえり?」 「うん。僕は冬にしかお父さんとお母さんに会えないんだ」  ちえちゃんはびっくりします。 「ちえとおんなじ!」 「同じ?」 「ちえもね、えいこちゃんには冬しか会えないの」  少年は目をぱちくりさせたあと、「そっか」と、どこか寂しそうな目をしました。 「道は、こっちだよ。ああ、僕は寒太郎(かんたろう)。よろしくね」 「ちえは、もえの ちえ」 「ちえちゃん。いい名前だね」 「かんたろうもいい名前!」 「ありがとう。お父さんとお母さんがつけてくれたんだ」 「ちえの名前もね、えいこちゃんがつけてくれたんだよ!」 「そうなんだ」 「ちえとおんなじだね!」    そして、寒太郎はさふさふさふと、ちえちゃんはもすもすもすと、雪を渡って歩き出します。ちえちゃんは後ろを振り返って、「おんなじはたくさん」でも、足は違うなと思いました。寒太郎の足跡はほとんど見えなくて、歩く音も、雪玉を転がしたときのように小さいのです。  少なかったはずの雪は、まるで毎日降ったかのようにたくさん積もっていて、どこにも茶色は混じっていませんでした。ほとんどはこんもりと地面から膨らんで、木の枝に寝そべるものはしゃんとしたつららを伸ばして固まっています。  雪を追い立てていた風もいつのまにかなくなって、水晶をすりおろしたようなきらきらばかりが、どこまでもどこまでも続いていました。 「ねえかんたろう、こっちであってるの?」 「あってるよ。何度も通ってるから間違えたりしない。道がないように見えるけど、雪を辿ればちゃんと出られるから」 「かんたろうはだいがくせい? ……じゃないよね……」  里帰りというなら、いつもは家族と違う場所にいるのでしょう。栄子ちゃんのように一人暮らしをしているのかと思いましたが、寒太郎は大学生には見えませんでした。ちえちゃんよりは年上で大人びていますが、大人ではありません。ちえちゃんは頭の中で、近所の中学生のお兄ちゃんよりも小さいのかな、と考えました。 「僕? 学生じゃないよ。学校、行けるなら通ってみたかったけど」 「学校行ってないの!?」 「まあね。どっちにしても冬しか行けないし」 「なんで冬しか行けないの?」 「暖かくなってくると体が保たなくて」 「どうして?」 「さあ、どうしてだろう。僕もわからない」  寒太郎のわからないは、どちらかといえば納得できないという言い方でした。 「……ちえちゃんもお母さんとは冬しか会えないんだっけ?」 「んっとね。お母さんとはずっと会ってるよ。えいこちゃんと会えないの」 「その人はお姉さん?」 「うん、()()()()()()()()()()()」  ぼうっと短い突風が雪を巻き上げます。寒太郎とちえちゃんを囲むように、あたり一面が深い白色に飲まれてしまいました。 「えいこちゃんをお母さんって呼んだらいけないんだって。だからいつもはおばあちゃんをお母さんって呼んでるの。本当のお母さんはえいこちゃんだけど」 「……」 「でもね、えいこちゃんとは冬にしか会えないけど、お勉強頑張ってるから、ちえも頑張るの!」 「……そっか」 寒太郎ははたりと立ち止まりました。白く遮られた世界から逃れるように、かろうじて見える空を見上げます。つられてちえちゃんも見上げます。  大きな雪雲は降らせるのを少し休んでいるだけで、奥ではせっせと落とすものをつくっているのでしょう。あちこちで肥えた灰色の膨らみから、またいつ雪がこぼれてきてもおかしくありません。 「また降るのかな?」 「ここ数年は寒さが弱かったから、空も今年こそはと気張っているんだろうね。降ってくれないと向こうに渡れないから、僕はありがたいけど」 「いっぱい降ればいいのにね」 「本当に。一年中降ってくれれば、僕もお父さんとお母さんのところに、ずっといられるかもしれないのに……」 「かんたろうは雪が好き?」 「うん、好き。好きだから降って欲しい。雪がないと会えなくて、寂しいよ」 「ちえは寂しくないよ。ずっと降らなくても、だーい好きだから」 寒太郎は、はっとなにか思い出したように、ちえちゃんの顔を見ました。 「……そっか。それでも、よかったんだ」 ひとりごとのようにぽつりとこぼして、寒太郎はまた目を細めました。 「かんたろう?」 「ちえちゃんのおかげで、ずっと悩んでいたことが晴れた気がするよ」 「なにを悩んでいたの?」 「里帰りは僕のエゴなんだ。本当は、僕みたいな存在は両親に会いに行っちゃいけないのかなって」 「なんで? いいのに」 「……だよね。いいんだよね? 二人は、僕のお父さんとお母さんなんだから」  寒太郎の言葉の意味は、ちえちゃんにはよくわかりませんでした。でも寒太郎が嬉しそうにしているのを見ていると、しだいにちえちゃんも嬉しくなってきました。  少し待っていると、また黒い木と雪の地面だけが見えてきました。寒太郎がちえちゃんを促して歩き出します。まっすぐ、まっすぐ、まっすぐ歩いて、やがてちえちゃんは、しゅぅんと遠くに鳴る車の音を耳にしました。
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