ゆきわらしが帰る日に

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 今年のある日、ちえちゃんの住んでいる地域に、何年ぶりかの大雪が降りました。  ちえちゃんは窓にかじりついて「うわぁ」と目を輝かせましたが、栄子ちゃんは「寒いのは嫌」と上着を羽織ります。あんまり雪を歓迎していないみたいでした。  ちえちゃんは大学の課題をやる栄子ちゃんを邪魔しないようにしながらとことこと歩き、台所にいるお母さんに防寒具をねだって着せてもらいました。準備が整うといても立っても居られず、外に飛び出します。 周りは白くかすんで、家の前の道路も通りすがる車も薄い色になっています。空をおおう灰色の雲が雪と一緒に地上に降りてきたかのようでした。空気をくんと嗅いでみると、つんと冷たい冬の匂いが鼻腔をくすぐります。 「雪だぁ」  雪はこうこうと音もなく地に落ちては、コンクリートを覆う苔のように広がっていました。  後から栄子ちゃんがやってきます。「滑らないように気をつけて」という栄子ちゃんの言葉を背中で聞いて、ちえちゃんは慌てたようにぱっと後ろを向きました。 「えいこちゃんはお勉強してていいよ。ちえは一人でも大丈夫だから」 「……まだ四歳のくせに、その遠慮のしかたはなに? 一人で勝手に遊ばれて、怪我でもしたら困るの」 「いいのに」 「これは休憩だから」  ちえちゃんは嫌そうな顔をする栄子ちゃんに困りましたが、休憩ならいいのかなと考え直します。  じゃくじゃくじゃく、と湿った雪を踏みながら、空を仰いで、落ちてくるものをそっと手のひらに乗せてみます。丸くてつぶつぶしたそれは肌の上ですうっと溶けて、つやりと透明になりました。ひとつ、またひとつ。ちえちゃんの肌の色に重なっていきます。 「手の上には積もらないねぇ」 「ちえ、帽子にたくさん雪ついてるよ」 「ほんと!?」  ばさばさと頭をはたいて、帽子にしがみついていた雪を落とします。  それからちえちゃんは、写真で見たことがあるような雪だるまを作りたいと、栄子ちゃんに言いました。 「雪が少ないから難しいと思う。でも小さめの雪だるまならできるんじゃない?」 「じゃあちっちゃいの作る!」 「そうだね。ちっちゃいのなら」  栄子ちゃんは雪を集めてぎゅっぎゅっとおにぎりのように握ってから、さふさふさふ、と雪玉を地面に転がしました。 「こうして雪の上を転がしていくと、だんだん大きくなっていくんだよ」  ちえちゃんは栄子ちゃんの雪玉を引き継いで、さふさふと転がします。 「これ茶色になっちゃう!」 「真っ白な雪じゃないからね」 「泥んこだるまになる」 「いいじゃない、泥んこだるまでも。また降れば白くなるんだから」  栄子ちゃんはごそごそとポケットを漁って、ライターとタバコの箱を取り出しました。灰白色(かいはくしょく)の世界にぽうっと赤い光が灯って、唇から蒸気のような息が静かに漏れます。  ちえちゃんはチョコレート色が混じった雪玉をさふさふさふと押し続けます。その間も玉雪はこんこんと降り注ぎ、ちえちゃんが作った足跡の中にも落ちていきます。白色は泥を吸ったぬかるみにも溶けて、踏まれる度にぴちゃんぴちゃんぴちゃんぴちゃんと、寂しい拍手のような音を立てているのでした。 「……あれ?」  夢中で雪玉を転がしていたちえちゃんは、いつのまにか遠くまできてしまったことに気がつきました。ぐるりと周りを見渡しても、おうちがありません。葉っぱのない黒い枝が雪の下からたくさん生えて、囲まれているようです。ちえちゃんは悪いものにじっと見張られているような気持ちになって、急に怖くなりました。 「お母さーん!」  雪玉を置いて、ちえちゃんはあっちやこっちをぐるぐるします。帰り道がわかりません。  見えるのは白と、黒と、灰色と、長靴についたちょっとの茶色。風がしゅんしゅんと鳴いて雪煙を立ち上らせ、灰色の影を持つどっしりとした空気が遠くを隠してしまっています。 「お母さぁーん!」  ちえちゃんの叫びは雪が吸い込んでしまいました。 「えいこちゃーん!!」  そばにいたはずの栄子ちゃんもいません。  叫ぶのに疲れたちえちゃんは耳をすませます。すんと澄んだ冷たさの中に、さふ、さふ、さふ……と、軽いものをゆっくり転がすような音がしました。 「えいこちゃん!?」  ちえちゃんは人影を見つけて、パッと顔を明るくして走り出します。  でも、そこにいたのは知らない人でした。ちえちゃんよりも少し背が高い、年上の男の子のようです。動物のようにモサモサとした茶色い上着を羽織って、口元を白いマフラーで覆っています。 「こ、こんにちは!」  ちえちゃんは戸惑いながらも、知らない人だからとあいさつをしました。すると男の子が足を止めます。ちえちゃんに気がつきました。
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