皇帝陛下の寵愛なんていりませんが……何か？

prologue 一生かけて復讐してやりますが......何か？

　バージンロードとは、花嫁が生まれてから現在までの人生の道のりを表しているそうだ。

　だが花嫁の足取りは、まるで隣近所の騒音に耐えかねて、苦情を訴えに来たかのよう。または、粗悪品を掴まされて返品に向かう途中のもの。

　闘志とか殺気に近いものすら伝わってくる。思わず「お前の人生、何があった？」と聞いてしまいたくなるほどに。

　そして長い長いバージンロードは終盤に差し掛かり、ここでやっとヴェール越しに花嫁と花婿の視線がぶつかる。

　アルビスは、微かに眉を上にあげた。上等だ、とでも言いたげに。　

　そんな彼は、大変見目麗しい青年であった。

　背の中ほどまで流れている夜明けの湖畔のような藍と銀が交じり合ったような髪は、絹糸のよう。そして花嫁を見つめる瞳は刺すような深紅。

　目鼻立ちのどれ一つをとっても、美しくないものはない。

　すらりとした長身の体躯も、無駄なものなど何一つなかった。

　前世でどれだけ徳を積んだらそんな美丈夫になれるのか聞いてみたいほどに。

　そして代々受け継がれている権威の象徴である帝冠も、ローブも全てこの男の為に存在しているといっても過言ではない程、しっくりと馴染んでいる。

　けれど、花嫁はそんなことはどうでも良いらしい。

　祭壇まで到着した少女は最後に、だんっだんっと足を踏み鳴らして止まった。そして、アルビスをキッと強く睨みつけた。

　花婿に対しても皇帝陛下に対してでも、その態度はいかがなものか。

　けれど、アルビスの表情は動かない。

　そういうものだと受け止めて、あっさりと身体ごと祭壇のほうへ向く。少女もつられるようにそちらに身体を向けた。

　どうでも良いことかもしれないが側近の片割れは、二人のそれが、なぜか妙にツボに入ったらしく微かに肩を震わせた。だが、その騎士は強靭な腹筋を持っていたため、ここで豪快に吹き出すという最悪の事態だけは回避できた。

　さて聖職者で最高位である大司教は、こんな予想外の展開にも動揺することはない。粛々と、聖書を手にし朗読を始める。大したものだ。

　朗々と語る大司教は老人と呼ぶべき存在であったのに、その声は聖堂の隅々までに響く。

　ただ、それを聞く新郎は新婦にばかり目がいき、新婦は相も変わらず不貞腐れた表情を浮かべている。

　......大変シュールな光景である。

　そして、しんとした聖堂に様々な感情が混ざり合う微妙な空気の中、聖書の朗読を終えた大司教は、花婿に視線を向けた。

「───健やかなるときも、病めるときも、喜び悲しみのときも、これを愛し、これを慰め、その命ある限り、愛することを誓いますか？」

「誓おう」

　続いて花嫁にも大司教は同じことを問うた。

　だが、いつまで経っても返事はない。

　再び聖堂がざわめき出す。

　思わず「いや、ちょっとたんま、たんま」と叫びながら割って入りたくなる空気が充満する。

　しかし大司教は最高位の聖職者。ここで機転を利かした。

「無言は肯定とみなします」　

　ほとんど強引に花嫁から誓約を取り付けると、さっさと次の行程に移る。

「それでは、誓いのキスを」

　アルビスは一つ頷いてから、花嫁のヴェールを持ち上げる。次いで少女の顎に手を掛け、少しだけ持ち上げた。

　そして、親指の腹をそっと少女の桃色の唇の形を確かめるように刷いた。

　少女のつぶらな瞳が細くなる。まるで、さっさとやれと言いたげに、不愉快さを訴えている。

　アルビスはその視線を感じつつも、もう一度少女の唇に触れ、そしてゆっくりと顔を傾け、自身の唇を押し当てた。

　触れるだけの口づけを受け、少女はこれは契約だと言い聞かせる。

　対して、アルビスは締め付けられるような胸の痛みを抱えていた。

　愛しい人に触れることができる喜び。そして、愛しい人がこれっぽちも自分に気持ちを向けない辛さ。

　その両方がアルビスの心をぐちゃぐちゃに掻き乱す。それは互いの唇が離れたあとも、続いていた。

　ただ口づけを受けた後、少女が自身の手の甲で唇を拭かなかったことだけが唯一の救いだった。

「二人が現時点をもって夫婦となったことを、ここに宣言します」

　さすがの大司教も早々に終わらせたいのか、余韻を味わうまもなく、そう声を上げると共に、既に祭壇に用意されていた、結婚誓約書にサインをするよう新郎新婦に促した。

　アルビスがさらりと記入し、少女へと羽ペンを渡す。少女は一瞬だけ、ためらった後、それにサインをした。

　夫　એલ્વિસ　ડુ　રસગલેવ（アルビス・デュ・リュスガレフ）
　妻　結月　佳蓮（ゆずき　かれん）

　ちなみにこの銅板でできた結婚誓約書と、特殊なインクを使用した羽ペンを使用するのは、約３００年ぶりのこと。

　もちろん３００年の間、皇族が結婚をしなかったわけではない。

　これは、いわゆる特別仕様のもの。

　聖皇帝と聖皇后の為の結婚誓約書。

　メルギオス帝国には、こんな言い伝えがある。

　異世界の女性を皇后にできた皇帝は、歴史に名を残す偉大な皇帝───聖皇帝になれる、と。

　ただそれはあくまでも言い伝え。

　３００年という長い間、一度も異世界の花嫁を迎えるための召喚術は成功することがなかった。けれど、アルビスだけが、成し遂げた。そして聖皇帝の名を得ることができたのだ。

　だからこその歴史的瞬間。

　そう。佳蓮はアルビスの術によって召喚された、異世界の人間だった。皇帝陛下の一方的で身勝手な理由の為に。そして佳蓮は、もう二度と元の世界には戻れない。

　だから佳蓮は、決めたのだ。寵愛なんていらないから、一生かけて罪を償ってもらおうと。

　つまりこの挙式は、夫婦となる儀式ではない。長い長い復讐の始まりであった。