不本意ながら襲われていますが......何か?

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 アルビスの狡い心を見透かすような言葉を吐いた佳蓮は、馬乗りになったまま、そこを動かない。   またがったままでいるのは、気が変わってとどめを刺すつもりだからではない。  これから先の自分の未来に絶望して、呆然としている訳でもない。  自分の下にいる男を屈伏させたという勝利感を味わっているわけでもない。  佳蓮は、ただただ考えていた。寒さも感じない程、あることだけを一心に考えていた。  アルビスはこれまでずっと精一杯頑張ってきた。  色んな人から押し付けられたものを背負わされ、逃げられず追い詰められて。でも、一つも捨てることなく、完璧な皇帝陛下を演じてきた。  それはきっと真っ暗な嵐の海の中を、一人で泳ぎ続けるようなものなのだろう。  孤独で、寂しくて、苦しくて、やるせなくて。  吹きすさぶ風は冷たく、荒れ狂う波に何度も飲まれ、その度に泳ぐことを止めたいと、いっそ海の藻屑になりたいと思っていたのだろう。  けれど、アルビスは泳ぎ続けた。自分が死ねば、国が荒れることを知っているから。  荒らしたい奴が勝手に傷付き死んでいくなら勝手にすれば良い。でもこういう時、傷付くのは決まって弱者なのだ。  それをアルビスは知っている。だから、身を削るような思いで、ずっと皇帝陛下の椅子に座り続けている。望んでなどいないのに。  なのに、そんな人間が最後に辿り着く場所が、こんなうら寂しい林の中。しかも、命がけで召喚した未来の妻の手でひっそりと息絶える。  そんな悲しい結末などあってたまるものか。  そして何の抵抗もしないアルビスの整った顔は、間近で見ると目の下の深い影があった。  多分もうずっと眠っていなかったのだろう。青い唇。ひどくやつれた顔。張られた頬は赤く痛々しい。  そんな顔を見てしまったら、もうこれ以上、怒りをぶつけることができない……。  なんてことを佳蓮は思っていたわけじゃない。  むしろ、何でこんな風に自分勝手に振舞って良いって思えるんだろう?と。  こうしたら相手が傷付くとか悲しむとか考えないで、好き勝手なことができるんだろう、と。  思いやりとか、気遣いとか無視できる図太い性格で良いなぁと。  そして、そんな相手に元の世界の道徳心を持っても無駄じゃないかと。  自分が嫌だと思うことは他人にやってはいけない。人には優しく接しましょう。相手の悪いところではなく、良いところを探すようにしよう。困っている人には自分から手を差し伸べよう。  そういった気持ちは小さい頃から培われて、心の根底にあった。だから佳蓮は無視をすれば罪悪感を持っていたし、何かに付けて疑う自分を恥じていた。  でも、もう良いじゃん、と。  目の前の男に、その気持ちを持ってどうなるというのか。  そんなふうに諦めにも似た感情を抱えた佳蓮の表情は、泣いているようにも笑っているようにも見えた。  月は変わらず、木々の隙間から二人を照らしている。微かに風が吹き、地面に積もった雪が舞い上がる。  でも佳蓮とアルビスのところだけ、まるで時が止まったかのよう・透明な膜に覆われているかのようだった。  そんな中、はたりとアルビスの頬に、生暖かい雫が落ちる。次いでまた、はたりと。それは次第に、ぽたぽたと断続的に続き、まるでアルビスが涙を流しているかのようだった。  けれど違う。泣いているのは佳蓮の方だった。微かに嗚咽を漏らしながら泣いていた。  けれど佳蓮はその涙をぬぐうことはせず、ぐちゃぐちゃになった表情のまま、アルビスに問いかけた。  「ねえ、私のこと……好き?」 「ああ、好きだ」  こんなに顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにして。  しかも、馬乗りになって自分を殺そうとした相手にそんなことを言えるこの男は、気が狂っている。  佳蓮はそう思った。でも、さらに問いを重ねた。 「愛してる?」 「何ものにも代えがたい程に、君を愛している」  二度目の問いにもアルビスは澱みなく答えた。  やっぱり馬鹿だ、この人は。そして、こんなふうにしか人を愛せないなんて、寂しい人なんだ。  佳蓮はそうも思った。  でも、同情はしない。同情できる域はもうとっくに超えていた。  そして佳蓮はアルビスに向け、ぎこちなく笑みを向けた。次いで彼が一番望んでいる言葉を静かに紡いだ。 「そう。じゃあ私、あなたと結婚してあげる」  佳蓮は、そう言った途端、目の前が黒く染まって何だか深い深い海の底に沈んでいくような錯覚を覚えた。  対してアルビスは信じられないといった感じで目を見開いた。けれど、その深紅の瞳は歓喜の色がある。それはどんどん大きくなって、瞳全部がその色に染まろうとしていた。  ─── まんまと騙されて。本当に愚かな人。  そう。佳蓮は、自分が心に傷を負うことを承知で、わざとアルビスを喜ばせたのだ。  アルビスを奈落の底に突き落とすために。 「ただし、条件があるから」  佳蓮はそう言ってアルビスの胸倉を掴んだ。  そして力任せにアルビスを引き上げて、声を張り上げた。それはアルビスにとって、生きたまま心臓をもぎ取られるほど苦痛なものだった。 「一生私を抱かないでっ。キスもしないでっ。恋人みたいに、触れたりしないでよね!!」
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