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結局のところアルビスの望んだ通りになる未来は、自分にとって最悪なことだと佳蓮は気付いていた。
だから復讐と言いつつもそれは、自暴自棄の行動とも言えた。自棄を起こしたと言われても否定できない。
でも、今の佳蓮にはこれしか選択はなかった。
憎いと思うのはアルビスだけで、憎悪を向けるべき相手もアルビスしかいない。
本当は何もかも失って、後悔しながら野垂死にして欲しい。
でも、この国でこの国を統治できるのは、アルビスしかいない。そして唯一無二の存在である皇帝陛下が居なくなってしまえば、この国は荒れてしまう。
佳蓮は自分の願いの為に、関係ない人間を巻き込みたくはなかった。アルビスと同じ人種になることが、とてつもなく嫌だった。
だから佳蓮はこんな決断しかできなかった。
不本意だったし、これが一番ベストな復讐だとも思っていない。でもこれ以上見つからないのだ。
だから迷いを振り切るように、アルビスの胸倉を更に強く掴んで、再び声を張り上げる。
まるで自分自身に言い聞かせるように。
「私、あんたの子供なんか産みたくない。どんなことがあっても私はあんたのことを好きにならない。あんたは一生聖皇妃に愛されなかった無様な聖皇帝でいて」
人の嫌がることをわざと選び、傷つけ、そして自信も傷付く行為を選ぶなんて、なんて愚かなことなのだろうと、佳蓮は頭の隅で思う。
そしてこの後、重く激しい後悔の念を抱くとわかっていても、どうしても言葉を止めることができなかった。
「私、あなたのこと一生恨むから。だから今すぐ死んで、楽になんかさせないっ。あなたは一生苦しみ続けて。ずっとずっと私を召喚したことを後悔し続けて生きて行けばいいのよっ」
最後のそれは悲鳴に近かった。
そして全ての言葉を吐き終えた佳蓮は、無造作にアルビスの胸倉から手を離した。
「それが条件よ。全部呑んでくれるなら、私、あなたと結婚してあげる?……どう?」
正直、無理だと言うと思った。
いや、無理とはっきり言わなくても、なんだかんだと言い訳をしたり、それこそ自分と同じように何かしらの条件を付けると思っていた。
でも、違った。アルビスは奇跡を目にしたかのように、美しい微笑みを浮かべるだけだった。
そして、その唇が弧を描いたままゆっくりと動く。
「わかった。全ての条件を呑もう。私は、君からどんな条件を付きつけられても、伴侶として傍にいてくれるなら、それで構わない。それでも心から嬉しく思う」
「……本気で言っているの?」
佳蓮は、アルビスの言葉が信じられなかった。
てっきり渋面を作っていつも通り、人を見下すような態度を取ると思っていたのに。
そして一言でも自分の言葉を否定したら、ここぞとばかりに責め立て、思いつく限りの罵倒を浴びせようと思っていたのに。
ただその後どうすれば良いのかわからないけれど。
でも全面降伏されるなんて、一番の想定外だった。まったくもって、自分の下にいる男の思考が理解できなかった。
ただ一つわかることは、それほどまでに自分を求めているのかということ……ではなく、気持ちが悪い。ということだけ。
そう結論を下した途端、佳蓮はこの奇想天外な生き物の上に乗っていることが、別の意味で怖くなり、のろのろとそこから降りる。
けれど感情の昂りで、今の佳蓮は寒さを感じてはいなかったけれど、身体はそうではなかった。
立ち上がろうとした拍子に、情けなくもよろめき佳蓮は尻もちをついてしまった。けれどそのまま、ずるずると後退する。
くるぶしまである寝間着が濡れたまま足にまとわりつく。そのせいで、とても動きにくい。
対してアルビスは、疲労を感じさせない動きで半身を起こした。
「私は皇帝だ。その名に懸けて誓おう。───……どうした?カレンそんな顔をして。もしや怖気づいたか?」
「なっ」
手を伸ばせば届く距離で、戸惑う表情をまんまと指摘された佳蓮は、カッとなって立ち上がる。
そして腕を組み、ムキになって怒鳴りつけた。
「馬鹿にしないでっ。誰が怖気づくって?はぁ?勝手に決めないでよね。それと、言っておくけど、あんたは私が元の世界に戻れないって思い込んでるけど、私は絶対に元の世界に戻ってやるから。私自身の力で戻ってやるっ。何年経っても、私は元の世界に戻りたいっていう気持ちは捨てないから。諦めないから。あんたをとことん利用して、私は元の世界に戻ってやる。そして、あんたの行動全部を否定してやるからねっ」
怒涛のように煽る言葉が降ってきても、アルビスは表情が変わらない。
とても残酷なことを言っているはずだというのに。まるでそこに太陽があるかのように眩しそうに目を細めて佳蓮はを見上げている。
そして柔らかく微笑んでから、力強く頷いた。
「そうか。君がそれを望むなら、私は君が元の世界に戻る為に、全ての知識を与えよう。もし仮にそれを妨害するものが現れたのなら、私が排除しよう」
「……」
───そんな言葉など誰が信用するものか。
佳蓮はそう心の中で吐き捨てた。
でもしかめっ面でいる佳蓮の心情は、アルビスには手に取るようにわかる。
「今は信じられなくても良い。ただ、この言葉はどこが胸の隅に置いておいてくれ」
「……」
もちろん佳蓮は、この言葉にも頷くことはしなかった。
ただアルビスは、これ以上言葉を重ねることなく、静かに立ち上がる。
「では、宮殿に戻るか。カレン」
そう言って差し出してきたアルビスの手を、佳蓮は力任せに叩き落とした。
「この際だから言っておくけど、金輪際”戻る”って言葉を私に使わないで。私が戻りたいのは、元の世界だけ。これも約束して」
どんどん要求が増えていくことにアルビスは苛立ちを見せることはない。
今回もまた深く頷くだけだった。
「わかった。ではカレン、宮殿に行くとするか」
恐ろしいほど素直に訂正したアルビスは、次いで素早い動きで佳蓮の腰に手を回した。
そしてそのまま佳蓮を小脇に抱える。
「ちょっと、言ったそばからどこ触ってんのよっ。っていうか何よコレは?!」
手足がぶらぶらと揺れるこれは、まるで自分が逃亡した犬にでもなって、飼い主に捕まえられてしまったかのようだった。
生理的嫌悪は、なぜかわからないけれど、さっきより格段に減っている。だから今すぐ嘔吐しそうなほど気分が悪いわけではない。
でも、これはあまりに酷い仕打ちだ。
佳蓮はアルビスの足をガンガン蹴りながら、降ろせと訴える。
けれど、返ってきた言葉は「これが一番肌に触れない抱き方だ」という飄々としたもの。もちろん佳蓮が納得するわけがない。
「降ろしてっ。一人で歩くからっ」
「この寒空の下、宮殿まで歩くのか?悪いが今日は馬車はない」
「は?じゃ、どうやってここまで来たの?嘘はやめてよね」
「嘘ではない。今からそれを見せよう。それと私は、今もこれからも君を裸足で歩かせるつもりはない。だから、今後は裸足で歩くことはしないでくれ」
「はぁ?!そもそも、裸足で歩く羽目になったのは───」
佳蓮は青筋を立ててアルビスを怒鳴り付ける。
けれどもその威勢の良い声は、風も無いのに地面の雪が舞い上がった途端、何処へと消えていった。
そして二人の姿も同じように足跡を残すことなく、煙のように消えて行った。
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