epilogue 復讐という名の結婚をしますが……何か?

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epilogue 復讐という名の結婚をしますが……何か?

 アルビスは夢を見ていた。  それはとても鮮明な夢だった。  見たことも無い建物の廊下のような場所にアルビスは立っていた。建物の素材はレンガではないのに、とても丈夫そうだ。  そして、なぜだかここは、心安らぐ場所のようにも思えた。ただ取り巻く空気は、どことなく忙しない。  季節はほどよく暖かい。多分、真夏でもなければ真冬でもない。その中間の季節。  頬に夕陽があたり、視界に広がるそれらをオレンジ色に染め上げている。今、ここは哀愁が漂う時間帯のようだった。  アルビスはこのメルギオス帝国で唯一無二の皇帝陛下。そしてその血筋に限って、魔法が使える。  だからアルビスは気付いてしまった。  これが単なる夢ではないことを。これは所謂、─── 予知夢というもの。そう遠くない将来、自分の身に起こることを示しているのだ。  その身に起こることとはきっと、最愛の人との別れなのだろう。  なぜなら目の前にいるその人は、初めて会った時と同じ裾の短い不思議な服装をして、この見知らぬ場所に何の違和感もなく立っているのだから。 「───カレン、今までありがとう。私は君と出会えて幸せだった。そして、自分の身勝手な願いの為に君を傷付け、沢山のものを奪ってしまってすまなかった」  自分の意志とは無関係に、アルビスは言葉を紡ぐ。これもきっと未来の自分が語ることなのだろう。  対して佳蓮は、何を今更と言いたげな表情をしている。  だがこれまでのような、全てを拒むようなものではなく、少しの戸惑いを含んでいた。  未来のアルビスはどう思っているかわからないが、今のアルビスはそれが無性に嬉しい。  だが夢はその思いとは裏腹に、辛い言葉を紡ぎ続ける。 「私は君にその全てを返すことはできない。そして私が君に返すことができるのはこれしかない。どうか受け取ってくれ」  アルビスがそう言い終えた後、佳蓮は驚いたように目を瞠った後、何か言葉を紡いだ。  それが何だったのかは、アルビスは聞き取ることができなかった。そして視界が暗転して、意識は現実へと引き戻された。 「───……夢……か」  目が覚めたと同時に、アルビスは思った。  佳蓮と別れる瞬間、自分は立ち会えることができるのだと。それにとても安堵を覚えた。知らない間に居なくなることはないのだと。  そして、その運命をアルビスは静かに受け入れた。  限りある時間を全て、佳蓮への贖罪に当てようと心に誓った。  ただ、とんでもんなく嫌な奴がいたということだけ、記憶の隅に置いてもらえたら嬉しいと思ってしまった自分をほんの少しだけ恥じた。  とはいえ、この部屋は誰もいない。だから本音が零れてしまう。 「なにもこんな夢を見るのは、今日でなくても良かったというのにな……」  そう言いながら、アルビスはベッドから起き上がり、そのまま窓へと移動する。  カーテンを開けると、眩しい程に晴天が広がっていた。そしてそのまま窓の外に視線を落とす。  離宮の庭には、帝都中の花という花を集めたかのように、溢れんばかりに飾り付けられていた。青、赤、黄、緑、その中間色。  目がちかちかするほどの様々な色彩の中には、喪を想像させるものだけは含まれていなかった。  そして早朝というのに、忙しなく動く数多くの使用人たち。その表情は遠目でも笑みを湛えているのがわかる。  なにせ季節は春。そして今日は皇帝陛下の結婚式なのだから。 ***  澄み渡る青空の下、春風に乗って花の香りが宮殿の大聖堂にも届いてくる。  そして、帝都で振る舞われている祝いの酒の香りも微かに漂ってくるようだ。  そんな中、シダナとヴァーリは、めったに着ることが無い騎士の正装姿で宮殿内の庭の片隅で帝都を見下ろしていた。  ちなみにあと1時間もすれば結婚式が始まるので、宮殿内の大聖堂には、既に同盟国の代表者を始め、この国の領主たちが着席をしている。  シダナとヴァーリももちろん出席する。しかも自分が仕える主が主役の一人なので、2人は花婿と同じように祭壇の隅で待機することになっている。  ただ大聖堂に移動しないのは、その花婿が花嫁の控室に足を向けたっきり、まだ戻ってこないから。  そしてシダナとヴァーリは、花婿をせっつくほど野暮ではない。時間ギリギリまで、好きなようにさせておこうと、こんなところで時間を潰しているのである。  本日は皇帝陛下の結婚式。  使用人たちは皆、てんやわんや。衛兵達も全員、来賓警護に駆り出されているので、宮殿の庭の隅はとても静かだった。  だからこんな砕けた会話も許されてしまう。 「いやぁーめでたいねぇ、シダナ。俺、こんなにテンション上がる日が来るなんて思ってもなかったよ」 「……あなたは、羨ましいほどに単純ですね。この結婚がそういう意味のものではないと知っているでしょう?」  柵に体重を掛けながら純粋な笑みを浮かべるヴァーリに対して、シダナの表情は真逆のもの。  ちなみにこの二人は、佳蓮がアルビスと結婚するにおいて、ある条件を出したことを知っている。  だからシダナは憂いている。なのに、ヴァーリはそれでも満面の笑みを浮かべている。その理由は、こうだった。 「ああ、知ってる。でも嬉しいもんは嬉しい。カレンさまには悪いけどさ、俺は陛下が護りたいと思える存在を手に入れたんなら、それで良いさ」 「……一人の人間を犠牲にして、あなたは良くそんなことを躊躇なく口にできますね」 「できるさ」 「胸を張って言うことではないでしょう。あなたは罪悪感というのをどこかに置き忘れてしまったのですか?」  至極正論で窘められても、ヴァーリの表情は変わらない。  ただ少しだけ耳が痛いのか、視線を別の方向にずらす。その視線は遠く、まるでここには無い何かを見つめているようだった。 「シダナの言いたいことはわかる。でも、俺は考えないようにする。……だって……俺さぁ……ずっと、陛下には心から愛してくれる存在が必要だと思ってたよ。んだけど、そうじゃなかったんだよなぁ。それより執着できる存在が必要だったんだよな。残念ながら、俺もシダナも、陛下にとってそこまでの存在じゃないし」 「……」  このヴァーリの言葉にはシダナは反論できなかった。  そう。アルビスにとってシダナとヴァーリはどれだけ忠誠を誓ったとしても、その身を捧げようとしても、護るべき存在の枠から抜け出すことはできない。  言い換えるならシダナとヴァーリは、アルビスから背を向けたら追っては来てもらえない存在だということ。  けれど佳蓮は違う。  佳蓮はこの世界で唯一、アルビスにとって背を追いたいと思える人物なのだ。 「だからこれで良い。これで陛下は、人として生きていられる。そして俺はずっとカレンさまの嫌われ役でいるよ。そうすれば少しは、陛下に向かう怒りの気持ちが減るかもしれないしさ」  再びヴァーリは、視線を戻してシダナを見つめる。その表情は、強い意思に裏付けされた揺るぎないものだった。  ただその決意はいささか考えが足りないというか、残念なもの。  なので、シダナが浮かべる表情は憂えたもの……ではなく、呆れを通り越し達観したものだった。 「馬鹿は馬鹿なりに頑張ってください。あと、今の発言は、私の胸の内だけに納めておきますよ」 「そうしてくれ。バレたら意味がないもんな」  カラカラと笑うヴァーリと、眉間を揉みながら溜息を付くシダナの間に再び風が吹く。  先ほどより花の香りが強くなったような気がした。  そして舞い上がる花吹雪の中、本日の主役の一人である花婿が花嫁との会話を終えて、二人の前に姿を現した。
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