1人が本棚に入れています
本棚に追加
日が沈み、街の灯りが海に映る。夜でも賑やかな街の片隅のレストランは、その彩りの一端を終わらせようとしていた。
「じゃあ、俺はお先に失礼しますね」
「ああ、稲羽さん。今日もありがとうございました。またお願いします」
「ええ、ではまた」
長い髪で作った尻尾を揺らして、軽く会釈して出て行く。好青年らしい彼は、どこか中世的で、女性らしい顔立ちと言ってもおかしくはない。
店を出ると、その表情を消して仕事人の顔をする。
(また……か。もう粗方のことは調べ終わったし、潜入する必要もなくなったからなぁ。今のシフト終わったらやめて、次のとこ行こ)
夜に合わせてきた上着の首元を緩め、繁華街の信号が変わるのを待つ。
この世は、彼にとって仕事道具で溢れていた。人によっては不快でしかない喧騒が、次の仕事に繋がることだってある。だから彼は、常に周りにアンテナを張っている。どんな情報も、自分の益にするために。
「やあ、お姉ちゃん1人? 今向こうの店で飲んでんだけど、一緒にどう?」
……まあ、こんなものは有益な情報なわけがない。典型的な酔っ払いのナンパである、という教科書に載せられるくらいだ。
(またかよ……めんどくさ)
しかも、声をかけられているのは、彼本人なのだ。頭痛のタネでしかない状況に、心の中で大きな大きな溜息を吐く。くるりと振り向いて愛らしい笑みを浮かべたのも一瞬で、その声で男の時間を止めた。
「俺、男だから」
「……は?」
蔑むように言い放ち、その場を離れて行く。その後ろ姿は、やはり美女にしか見えないから不思議だ。
最初のコメントを投稿しよう!