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もしかしたら怒っているのだろうか。
しのぶの気分を害してしまったのかと思い、舞は怖々と顔を上げる。けれど、しのぶの表情は穏やかなままだ。
「さすがに私達夫婦の耳にもご近所の噂は届いているよ。だけどその疑われている相手は私の兄だし、あの日のことは夫もちゃんと知っているから」
「そ、そうだったの? ごめんなさいね、私ったら勘違いしちゃって」
もごもごと言い訳がましく答えると、彼女は「いいのよ」と言ってまた上品に笑った。
だけど舞の頭はしぶとくもあの出来事を疑い続けていた。
兄相手に、あんな表情をするとは思えない。思い込みによる見間違いと言われてしまえばそれまでだが、どうしても彼女を怪しんでしまう。
彼女が嘘をついているのか、それとも真実を話しているのか、舞には判断ができない。
しのぶから感じるきな臭いものは、未だに消えやしなかった。
少しして、舞は自分の部屋に戻ってきた。
しのぶは終始優し気な様子だったけれど、出された紅茶や菓子の味がよくわからないくらいには緊張した。
体中から力が抜けてへたり込みそうになる。
けれどふと壁にかかっている時計に目をやると、もう14時になるところだった。いけない、そろそろ幼稚園に太一を迎えに行く支度をしないと。
舞は重い足取りで寝室へ向かい、身だしなみを整えるために姿見を覗き込んだ。
「?」
鏡に映っている世界に、白い靄みたいなものが見えた。
鏡面の曇りだろうか。だがよく見ると靄はかすかに揺れていて、目や口のような形まで見えてきた。
驚きのあまり舞は息を呑む。
人の形をした靄みたいなものが背後に立っている。そいつは鏡越しにじっと舞を見つめていた。
どくんどくんと心臓が高鳴る。
このまま振り返ってはいけない、だけど目を逸らすのもダメだ。なぜだか舞はそう感じ、背中に冷たい汗を感じながらそのまま立ち尽くしていた。
それから、どれくらい経ったのか。
「ッ!」
テーブルの上に置いておいたスマートフォンがけたたましい音で鳴り出した。そうだ、幼稚園のお迎えがあるから、いつもこの時間にアラームの設定をしていたのだ。
ハッとして再び鏡に視線を送るが、そこにはもう白い靄は見えない。後ろを振り返ってみても、やはりなにもいなかった。
「きっと疲れているのよ」
自分に言い聞かせながらも、中学生の頃にしのぶが幽霊を見たと言っていたことを思い出す。そういえば太一も最近お化けが出てくる夢を見て怖がっていた。
いや、だからなんだ。そんなのありえない。
今見たものは目の錯覚かなにかに決まっているのだ。たぶんしのぶと話したせいで精神的に参っていただけ。
頭から無理やり恐怖を振り払うと、舞は足早に部屋を出て行った。
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