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7 幻覚
最近気分が悪くて仕方がない。
常に胃がおかしな状態で、食も細くなってしまった。
ろくに視線を合わせてくれない裕太を見送り、ぐずる太一を幼稚園へ送り、それからどうしても体がだるくて、その後の家事にもろくに手が付かなくなってしまう。
「もう、最悪」
ベランダで洗濯物を干しながら、舞は憂鬱な息を吐いていた。
気持ちが悪くて吐きそうだ。頭も痛い。
ここ最近はろくに眠ることさえ出来なかった。例え眠れたとしても、悪夢にうなされて変な時間に目を覚ましてしまう。
ストレスで体調不良を起こしているのだと自分でもよくわかっていた。
頭の中に幸せそうなしのぶの顔が浮かんでくる。当時の暗くて地味な姿からは考えられないくらい綺麗になったしのぶ。自分とは違い、優しくて立派な夫のいるしのぶ。
本人にその気があるのかはわからないが、 舞からすれば見せつけられているも同然だった。
こんなことではいけないと、自分でもわかっている。
少しは前向きにならなければと思うのに、どうしてもうまくいかない。
結婚したばかりの頃は、今と違って笑う回数も多かった。それなのに今では裕太との生活に不満を抱え、毎日のように溜め息を吐いている。
どうして、こんなにもしのぶと差が出来てしまったのだろうか。
こんな風にうじうじと悩んでしまう自分が、嫌で嫌で仕方ない。
「はぁ、もうやだ」
ついネガティブな言葉が漏れてしまう。
結局は自分自身の後ろ向きな心が己を一番追い詰めているのだと、頭では理解しているのに。
舞はやっとのことで洗濯物を干し終えると、ノロノロとリビングへと戻った。
まだやらなければならないことはたくさんある。冷たい物でも飲んで気持ちをリフレッシュさせよう。
けれどそう思ってキッチンへ向かおうとした時、唐突に背筋をぞくりとするものが駆け抜けていった。
なにかに見られている感じがする。部屋に恐ろしい存在が潜んでいて、自分を狙っている。
どうしてだか、舞はそんな感覚にとらわれた。
まるですぐ後ろに悪いものが迫って来ているみたいだ。冷たい手が、自分の背後にじわじわと近付いて来るのを感じる。
こんなのはただの錯覚だ。落ち着け、落ち着けと舞は自分に言い聞かせる。
つばを飲み込み、強い恐怖に打ち震えながらも舞は思い切って後ろを振り返ってみた。
「は、はは」
乾いた笑いが出てしまう。
当たり前だが、そこにはなにもいない。見慣れたいつものリビングだ。
一気に体中から力が抜け落ちていく。
まったく、なにをやっているのだ。幽霊でもいるとでも思ったのか。馬鹿みたいなことを考えてしまったと、舞は自分自身に呆れてしまった。
けれどそう思った直後だ。
「ひぃッ!」
冷たいものが舞の耳元でなにかを囁いた。凍り付くような息が耳の辺りにかかり、ぞわりと体中の血が引いていく。
視線を前に戻すと、以前見た白い靄のようなものがそこにいた。
そいつは舞の周囲に纏わりついてなにかをもごもごと言っている。
あまりに不明瞭な発音で、なにを言っているのかまではうまく聞き取れない。
「やめて!」
舞は必死に手をばたつかせ、靄を振り払おうとする。
もつれる足で必死にリビングを駆け回り、近くにあった物を手当たり次第に投げつけた。
とにかく夢中になっていたから、それがなんなのか確認も出来なかった。
「!」
なにかが割れるような物音に、舞は正気に戻った。
気が付けばあの靄はどこにもいなくなっている。その代わり、床には割れた花瓶が散らばっていた。
「やだ、どうしよう」
これはずっと前に裕太の母親が海外旅行のお土産に買って来た物だ。派手な柄だったし、特別に気に入っていたわけでもないが、義母の厚意を受け入れて棚に飾っておいたのに。
「あぁ、もう」
何事もなかったかのように、部屋の中はシンとしている。
今のがなんだったのかわからない。精神的ストレスのせいで、変な幻覚でも見てしまったのだろうか。
「もう、なんなのよぉ」
自分は一体どうしてしまったのだろう。恐怖と混乱と情けなさで意味がわからなくなる。
泣きそうになりながら、舞は割れた花瓶を片付けた。
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