7 幻覚

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 この日のトラブルはこれだけで終わってはくれなかった。  夜になり、太一をお風呂に入れて寝かしつけ、舞はようやく一息つくことが出来た。  やっとのことで今日という日が終わってくれるのだと安堵しながらリビングで休んでいたら、裕太が苛々した声で呼び掛けてきた。 「おい、おいって」  舞はハッとした。どうやら、舞が気付かなかっただけで何度も呼んでいたらしい。 「ごめん、なに?」 「ったくさっきから呼んでただろ」 「だからごめんってば。それで、なに?」 「はー、もういいや」  投げやりに裕太は会話を終わらせると、椅子から立ち上がって自分で冷蔵庫の酒を取りに行った。  そんなことをさせようとしていたのか、それくらい最初から自分ですればいいのにと、舞は嫌な気持ちになる。 「つーか、そこにあった花瓶どうしたんだ?」  酒を一口あおってから、裕太は棚の上に視線をやった。  普段は家の中に変化があってもろくに気付かないくせに、今回ばかりは目ざとく気が付いたらしい。 「割れちゃったの」 「はぁ? なにやってんだよ」  裕太は咎めるような口調だ。 「あれ俺のおふくろがくれたやつじゃん。嫌がらせのつもりかよ」 「まさか、そんなわけないでしょ」 「じゃー勝手に割れたって言いたいの?」 「そういうのじゃ、ないけど」  舞はもごもごしてしまう。  説明したところで信じてくれるわけもないだろうが、このまま言われっぱなしなのも癪に障る。 「ちょっとうっかりしちゃったの。私だって、あの花瓶は自分なりに大事に扱ってたし」 「本当に大事に扱ってたならうっかり割るわけないだろ?」  呆れたような声で言われ、ずっと堪えていた気持ちがだんだんと頭をもたげてくる。 「つーかさぁ、文句があるなら直接言えばいいじゃん。陰湿なことするなって」  どうやら自分へ対する当て付けの為に、わざと花瓶を割ったのだと考えているようだ。そんなつもりなんてないのに、裕太は理解してくれない。 「お前っていつもそうだよな。ちょっとでも気に入らないことがあるとすぐ陰でこういうことする。この前も俺の親に愚痴ってたし」 「この前って、もう半年以上も前のことじゃない」  裕太の言うように、彼の母親に家庭のことを相談する為に電話をしたことがある。  だけどその時は「あの子は悪い子じゃないの」だの「あなたも理解してあげて」だの言われてなにも解決しなかったし、彼の実家を頼るだけ無駄だと悟った。 「でもおふくろに愚痴ったのは事実じゃん、さすがに親まで巻き込むなって」  まだ不満なのか裕太は止まらない。 「飯だって手抜きするしさー。成瀬さんちはいつも時間をかけて手料理作ってくれるんだって。俺もああいう奥さんがよかったよ」  しのぶの話題を出され、さすがにかちんと来てしまった。 「仕方ないでしょ。今日は具合が悪かったの」  今日は昼に見た白い靄の一件もあって、すっかり精神的に参ってしまった。料理をするのもままならずに冷凍食品を出したのだが、裕太はそこをつついて来た。  どうにか冷静さを保ちながら、舞は最近の体調不良について訴える。 「最近、全然眠れないし、気持ち悪くてろくにご飯も食べられなくなった。それでも頑張って晩ご飯作ったんだよ」 「そういうの、ただの甘えって言うんだよ。働きもせず家にいるくせにさ」 「なによそれ。また働きに出たいって相談した時、反対したくせに!」 「別にダメなんて言わなかっただろ」 「でも、あなたは嫌そうだった」 「あーはいはいそうだな。わかってますって」 「わかってない!」  舞の中で色々な感情があふれてしまう。 「そうやって、あなたはいつも勝手なことばかり言う。それに、この前だって太一との約束をすっぽかした」  そのことを思い出した途端、ますます怒りが込み上げてくる。自分のことはもういいが、太一が可哀想だという気持ちが胸に広がった。 「太一のことを愛していないの?」 「お前さぁ、そうやってなにかと子供を盾にして恥ずかしくないわけ?」  裕太は上から目線に言ってくる。  こちらの言葉をのらりくらりとかわして、自分にはなんの非もないと言わんばかりの態度だ。  これ以上なにを言っても無駄だとわかった。 「もういいよ。ごめんね」  舞は肩を落とした。  わかればいいんだと言いた気な顔をされたが、舞はそれ以上のことを言い返すのも諦めた。  悔しくてたまらないが、それでも泣くものかと思った。  その夜もやはり、舞は寝付くことが出来なかった。
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