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「ずいぶん長く話し込んでいたな」
リビングに戻ると、テレビの音声に耳を傾けながらスマホをいじっていた夫が言った。こちらの長話をとがめるような、少し嫌な感じの口調だ。
「お隣さんが引っ越しの挨拶に来たの。奥さんの方が、中学の同級生でさ」
「へー、そうなんだ」
ゲームでもやっているのか、夫はスマホから目をはなそうともしない。
「その子、昔はもっと地味っていうか、あまり目立つ子じゃなかったんだ。なのに別人みたいに綺麗になってて驚いちゃった」
「ふうん」
あまり興味のなさそうな返事をされ、舞はひそかに溜息を吐く。
舞はごく普通の専業主婦だった。
夫にはそこそこの稼ぎがあり、今年四歳になる息子は目に入れても痛くないほど可愛らしい。舞は自分を人並みに幸せだと思っていたけれど、最近は夫との間に距離を感じていた。
二つ年上の夫、裕太とは社内恋愛だった。
相手の方からアピールされて、結婚までさほど時間はかからなかった。
けれど一年ほど前に裕太の不倫が発覚してトラブルになった。その時はどうにか和解して夫婦仲を修復したけれど、あれ以来夫の悪い部分が目に付くようになっていた。
そこへきて自分の暮らしているマンションに、それも隣の部屋にしのぶが引っ越してきた。
自分よりも若いと思っていた隣人の妻があか抜けて美人になった中学の同級生だったなんて。それにいかにも優しくて裕福そうな男と結婚したという事実に、なんとなくジェラシーのような感情が芽生えてしまう。
「ままー」
舌足らずな声がしたかと思うと、さっきまで昼寝をしていたはずの息子が奥の部屋から駆け寄ってきた。
「どうしたの、太一」
泣きそうな顔で太一は縋りついてくる。いつもこんななぐずり方はしないのに今日はやけにめそめそしている。
「お化けがいるの、お化けがパパを迎えに来たの」
「え、なに?」
「パパがお化けに連れてかれちゃう」
どうやら怖い夢でも見たらしい。うんざりしつつも舞は小さな体を抱き寄せて、なるべく優しい声で言い聞かせる。
「大丈夫、パパはどこにもいかないわよ」
けれど太一が落ち着くまで時間がかかったし、その間ずっと裕太はスマホをいじっていた。
自分は人並みに幸せな方だと思っていた。でも実際にはどうだろう。
さっき見たしのぶの様子を思い出して、胸の奥に苦しさを覚えた。
たぶんしのぶが元から綺麗で明るい子だったらこんな風に思わなかったのだろうし、最初から仕方がないと思えたはずだ。
これまでは無意識的に彼女を下に見ていたのだと自覚して、舞は己の醜さを思い知った。
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