消えないで

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階段を上って、ポケットから出した鍵を回して、扉を開ける。 六月のむわりとした空気が1LDKの部屋から吐き出されて、私は小さく眉を寄せた。 夏は嫌いだ。 そう思っていた。 「じゃあ冬が好きなの?」 「…冬も別に好きじゃない」 「ふーん。俺はさ、全部好き。春でも夏でも秋でも冬でも」 なんか馬鹿っぽいと悪態をついた私に、あなたは 私の手を取って微笑んだ。 「俺と一緒にいたら、好きな季節が見つかるかもよ」 その言葉通りだったよ。 春も、夏も、秋も、冬も。あなたと一緒の時間は、過去の私が見つけられなかった沢山の幸せが散りばめられていて、このまま時間が止まれば良いって何度も何度も願ったの。 フローリングを汗ばんだ足で歩く。ぺたりと微かな音がする度に、足跡が現れては消える。 あなたの足跡は、もう残ってないかな。 そんなの、嫌だな。 くっきり残って、一生消えないでいて欲しい。 どれだけ泣いても、もうあの声は聞こえない。 どんなに呼んでも、あの後ろ姿は振り返らない。 蝉の声が遠く聞こえる。 夏は嫌いだ。 春も、秋も、冬も嫌いだ。 あなたのいない時間の全てを否定して、それでも私は呼吸をしている。 虚な視線を伸ばした先に、足跡が見えた。 私の体に指先を向けた足跡。 垂らされた蜘蛛の糸に縋るように手を伸ばす。 私だけのものと叫びたい衝動を押し殺したのに、それは夢のように淡く輪郭を失った。 ひとりきりの一度目の夏は、まだ始まったばかりだ。
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