桐壺

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 なおも一身に寵愛が集まる最中(さなか)、彼女にとっても帝だけが生きる(よすが)、その愛を頼りに生きるしかありません。  彼女の父は大納言でしたが、とうに亡くなっていました。残る母はそれなりに物のわかる、娘が肩身の狭い思いをしないようにと常に心を砕いているひとでしたが、やはり両親の揃った娘に比べると心細い点が往々にしてありました。  そんな日々のなかで、帝と桐壺の更衣の間に、ひとりの男の子が生まれました。  よく言う表現ではありますが、本当に玉のような美しい皇子です。  しかし帝には既に第一皇子がおりました。  母は右大臣の娘で女御という位を持つ女性、更衣よりも格上であり、将来のお世継ぎとなることを、誰も疑ってはおりませんでした。  臣下の者達もそのつもりで敬意を払ってはおりましたが、第二皇子である若宮の美貌、他人を惹き付けてやまない魅力には及びもつかないと、誰しも心の奥底では、若宮こそが真のお世継ぎとして相応しいのではと感じておりました。  帝とて、同じことです。  その母を愛するが如く、若宮を愛する様子は非常とも言うべきものでありました。  それはすぐに、第一皇子の母である弘徽殿(こきでん)の女御も知ることとなります。母として女として、不安を感ぜずにはいられません。  一時でも帝の寵愛を賜った以上、その皇子を産んだ以上は、右大臣家からの重圧はもちろん、自らも我が血統をお世継ぎにと望むものです。  よもや、第二皇子がお世継ぎつまり、春宮(とうぐう)となるのではあるまいかと日夜不安に思わずにはいられない。まさか、右大臣家の娘で女御たる自分が、なんの後ろ盾もない更衣如きに敗北するのではあるまいかと。  弘徽殿の女御は、帝が十二、三歳で即位された時、最も初めに妃に上がった、添い伏つまり閨の手解き、という役割を担った女性なので、帝からも他の妃嬪とは別格の扱いを受けていました。  桐壺の更衣への寵愛ぶりに関しては百官の諷諫(ふうかん)も何とも思わない帝であっても、弘徽殿の女御にばかりはそうともいってはいられないのでした。
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