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名前を呼んでもうんともすんとも答えない。私の声が駐車場に響いただけだった。
――え? もしかして、一人で部屋に帰った?
さすがにそれは、と思って後ろを振り返ろうとしたときだった。
「へ?」
後ろから禅さんの両腕が伸びてきて、抱き締められるのかと思った。けれど、その腕は静かに動き、私の首にネックレスを着けて去って行った。
「これ……」
母の形見だった。金色の鎖が綺麗に直っている。それ以外は、そのままだ。
「水に強い特殊な加工を施したために時間が掛かった」
遠回しにお風呂のときも外さなくて良いってことを言っているんだと思う。そんな禅さんの姿が、まだ見えない。
「ありがとうございます。お手数をお掛けしました」
お礼を言おうと思って振り向いたら、すごい至近距離に禅さんが立っていた。
「そこはお前の母親に譲ろう」
「はい?」
この人は一体何を言っているのだろうか、と思ったら、急に左手を取られて薬指に銀色の指輪を嵌められた。青いサファイアがキラキラ輝いて……じゃなくて、え?
「あの、私と禅さんは別にそういう関係では……」
「変な虫が寄って来なくて良いだろう? これで面倒事が減る」
私はストーカーのことを本気で悩んでいたのに、単なる面倒事だと思われていてショックを受けた。
「私、金品要らないって言いましたよね?」
ちょっと苛立った感じで言わせてもらいます。そして、この指に嵌まったリングも取り外させていただきます。
「なら、何が欲しい?」
嵌められた指輪に手を掛けた瞬間に言われた。困っているのか、呆れているのか、禅さんは今にも溜息を吐きそうだ。
「何も要りません。強いていうなら平和です」
「平和? この世界にそんなものは存在しない」
この人は、すぐどん底に落とす。誰彼構わず、そんなことを言っているのだろう。それなら……
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