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パッと顔を上げて横を見てみると、そこには意外な人物が立っていた。
「栄さん!」
エンシャンス・リリー号のときの栄さんだった。
屈んで私に顔が見えるように会釈をする栄さんに、ちょっとビックリして私は大きな声を出してしまった。しかし、窓が閉まっていて、これではそのまま会話が出来ない。そう思って私は車の窓を開けた。
「栄さん、もう大丈夫なんですか?」
「はい、もう大丈夫です。その節はご迷惑をお掛けしました。駒田さんもお元気そうですね」
禅さんにここから出てはいけない、と言われているため、窓越しに会話をする。ヤクザ特有の強面に怖い雰囲気を纏っているけれど、栄さんの言葉遣いや態度はとても丁寧だ。禅さんにも是非見習ってもらいたい。
「今日はお仕事ですか?」
そう尋ねたのは私だ。禅さんの部下である栄さんが、ここに居ても別におかしいことではない。
「はい、仕事です」
感情を表に出さず、ただ淡々と栄さんが答えた。
――あれ? でも、ちょっとおかしいかも。
「あの、駒田さんに見せたいものがあるのですが」
「見せたいもの?」
窓の近くで栄さんが右手を差し出し、自然と意識がそちらに持って行かれる。何も見えなくて、私は徐々に手の方へ顔を近付けて行った。
「これです」
「……っ!」
彼の手がパッと開かれたと思うと、急に私の口を塞ぎ、甘い匂いがした。どんどん海に沈むように、意識が遠退いていく。
――栄さんは裏の人間……、だから、表の禅さんと仕事をするわけがない。本当は、ここに居てはいけない人間……、もしか、して……船の、ミスは……わざ、と……。
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