攻防戦は女湯で巻き起こる

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「じゃあ、もっと我慢してください」  何ともない口調で言ってやる。でも、まだ逆上せているように頭がぼーっとしている気がする。 「なんだと?」  訳が分からない、という風に禅さんが目を細めたけれど、そんなことは気にせずに私は彼に向かって両手を広げてみせた。 「ぎゅっとしてください」  男に二言がないのなら、これはあなたを苦しめるはずだ。 「……っ」  ほら、珍しい顔をしている。くっ、と顔を顰めるような。これは私の勝ちだ。 「はあ……、お前は鬼だな」  自分と戦って答えでも出たのか、数秒後、禅さんは深く息を吐いて、私を抱き締めた。彼の背に両手を回しながら、鬼はあなたでしょう? と思う。 「禅さんのことが嫌いですから」  嫌いなはずなのに、どうしてか、こうされるととてもドキドキする。タバコをやめた禅さんだけの香り、規則正しく鼓動する強い心臓の音、赤い龍を背負った逞しい背中から感じる熱、全部全部、完全には嫌いになれない。だから 「でも、こうされるのは嫌いじゃないです……」  ぼそりと静かに付け足した。すると、禅さんが私から身体を離して、スッと立ち上がった。  仕返しをし過ぎてしまったのだろうか? と彼の動きを視線で追う。黙ったままの長い足は、出入り口である襖の方に向かっていた。 「禅さん……?」  そのまま去って行ってしまうのか、と思って声を掛けてしまったけれど、禅さんは部屋の電気を消しただけだった。 「心配するな。一緒に寝てやる」  掛け布団を捲り上げて、禅さんが私の隣に横になった。 「し、心配なんてしてません」 「静かに寝ろ、餓鬼」  少し大きな声を出しただけで、黙れ、という風に、ぎゅっと抱き寄せられる。まさか、二十代半ばで餓鬼呼ばわりされるとは思わなかった。 「指輪、次は捨てるなよ?」  間近から声がして、「え?」と思って、手探りで自分の左手の薬指を確認してみたら、いつの間にか、そこには元居た同じ形の指輪が嵌まっていた。 「池から探し出したんですか?」  ――暗闇の中で見つけ出したの?  私の問いに彼は答えなかった。ただお互いの温もりに負けて、眠りに落ちていくだけ……。
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