あなたにさよならと言わせてください

4/16

1494人が本棚に入れています
本棚に追加
/197ページ
「ああ、おはよう」  ――はっ?   禅さんが爽やかに笑った。表情筋が皆無みたいな、あの禅さんが。そんなに瞬時に表情を変えられる表情筋を持ち合わせていたのか、と心底驚いてしまう。 「社長、今度、ご飯食べに行きませんかぁ?」  女性の距離が近い。そして、かなり女らしさをアピールしている。禅さんは一体、どのようにしてこれを切り抜けるのだろうか。 「時間が合えば、ご一緒しよう」  ニコッと笑って禅さんが答えた。  ――断らない! 行く気? 行く気なの?  横からジッと見つめていたら、「楽しみですぅ」と言いながら女性が私の方を見て意地悪く笑った。  そして、それは一人では終わらなかった。次に止まった階でも、その次に止まった階でも若い女性が乗ってきて、禅さんに対して「社長、ランチに行きましょう?」だの、「社長、今日も素敵ですね」だの、気が付けば、仮面社長の取り合いになっていた。  私は文字盤の前に立っていて、今すぐにでも「この人、ヤクザですよ?」と言ってやりたい気持ちになった。でも、色々と諸々のことを考えて、心を落ち着かせて、私は次に止まった階で勝手にエレベーターから降りた。  禅さんは降りて来なかった。女性陣に止められたか、自分でその気がなかったのか、分からないけれど。 「はぁ……」  エレベーター横の大きな窓から、ここよりも低いビルたちを眺める。溜息が出たのは無意識に近かった。  別に禅さんが誰と付き合おうと興味は無いけれど、いくらなんでもモテ過ぎる。ルックスが良いのは確かにそうだ。でも、そんなにあの人に魅力があるだろうか、と思ってしまう。  本当は俺様で、強引で、言葉も態度も酷いのに。  窓の外に向けていた視線を自分の左手の薬指に移して、ふと思う。どうして、禅さんはサファイアを選んだのだろうか、と。
/197ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1494人が本棚に入れています
本棚に追加