鈍感な女は不器用な男に奪われる

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 ◆ ◆ ◆  自分から手は取らなかったけれど、「まあいい、ついておいで」と言われて私は岩倉さんについて行った。もう、どうせ失うものは何も無い。  途中でタクシーを拾って、暫くすると、大きなホテルに着いた。見た感じ、とても高級そうなホテルだ。  受付に向かうことなく、最上階まで行き、カードキーを使って岩倉さんが部屋に入っていく。そこは広々としたスイートルームだった。 「質問は一切受け付けない。だけれど、明日の夕方まで、ここでゆっくりしていて良いよ。もちろん、何を頼んでも私が支払いを持つ。好きなものを頼むと良い。明日の夕方、君に運んでもらいたいモノがあるから、そのときにまた来るね。報酬は弾むよ」  スラスラと一言一句を噛むことなく告げ、岩倉さんは部屋から出て行った。カードキーを置いて行かなかったということは、私に「この部屋から出るな」と言っているのだろう。 「はぁ……」  岩倉さんの話を息を止めて聞いていたようで、やっと肺に空気が入ってきた。これから何があるか分からないけれど、高級そうなソファに座って少しだけホッとする。  今は一体何時なのか、とスマホを見て確認しようとしたら、仕事のことや泊まる場所など、色々と調べていたら充電が無くなってしまっていた。けれど、残念ながらコンセントはあっても充電のコードがない。仕事を終えて、少しでもお金をもらうことが出来たら買おうと決めた。  心が少し落ち着いて、部屋の中を見回してみると、キッチンがないだけで、どことなく禅さんの部屋に似ている気がした。あそこも高級そうな家具がセンス良く置かれていて、とても綺麗でとても広かった。  でも、ここには何も無い。家具はあっても何も無い。  妹子も居ないし、流川さんも居ない。そして、禅さんも……。 「……っ」  一人ぼっちで、大きなベッドにうつ伏せに倒れ込んで、泣きそうになった。そのまま目を閉じて、あの部屋での日常を思い出す。  朝、目覚めたら、禅さんと流川さんがキッチンのカウンターの所に立って二人でコーヒーを飲んでいて、私が近付いていくと、流川さんが私にも「飲まないか?」とコーヒーを勧めてくる。でも、私はコーヒーが苦手で飲めなくて、毎回、禅さんに「餓鬼か」と鼻で笑われた。  そんな些細な出来事でさえ、今思い出してみれば、キラキラと光って見える。  さよならするって、離れるって、覚悟は決めた。禅さんのことなんか嫌いなのだから自由になれて良かったんだって自分に言い聞かせた。でも、いざ離れてみたらとても悲しくて寂しい。  今、禅さんに電話が出来て、繋がるのなら、すべてを正直に話したい。謝りたい。本当は傍に居たい。  俺様で、態度も言葉も酷いけど、本当は優しくて、私だけに本物の自分を見せてくれた。とても強くて、頭が良いことも知ってる。誰かに頼るなんて甘えでしかないけれど、ちゃんと話して、あなたに頼れば良かった。  私はずっと、ずっと心の中で後悔を続けた。何も無いけれど満ち足りた空間で、泣き疲れて眠ってしまうまで……。
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