偽りの花嫁は無を巡る

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 それから三日後、私は退院して、荘吾さんの部屋に帰った。そんなに物の無い、シンプルなマンションの一室だ。 「ここに座ってて、必要な物は俺が買ってくるから」  松葉杖をつかないと歩けない私を黒い革のソファに座らせて、荘吾さんが言う。もうすぐお昼だから、何かを買ってこようと言っているのだろう。 「あの、料理しても良いですか? 何か作りたい気分なんです」  今座ったばかりだけれど、私は松葉杖を持って、立ち上がろうとした。 「でも、立っているの大変でしょう?」  心配して、荘吾さんが私の身体を腕で支え、また座るように促す。彼に負担を掛けたくなくて、私は素直にソファに座り直した。 「あまり動かなければ大丈夫です」 「分かったよ。材料は何を買ってくれば良いかな?」  私の前にしゃがみ込んで、荘吾さんが下から私の目を見て聞いてくる。 「えっと、焼きそばを作りたいんです。焼きそばのセットが袋に入っているものとプラスチックの容器に入っている焼きそばソース、それと梅のふりかけを買ってきてもらえると……あれ? 私、前もよく、焼きそば作ってました?」  ふと、そんなことを思った。 「え?」  荘吾さんが驚いたような顔をして、私を見つめる。 「なんだか、頭じゃなくて身体が覚えてるみたいで……、もしかして、荘吾さんの好物ではありませんか?」  身体が何度も最近作ったと言っている。考えられることと言ったら、好きな人の好物で、喜んでもらいたいから作った、ということしかない。 「あ……、ああ、そうだよ。よく覚えてたね」  私が覚えていたことにビックリしたのだろう。荘吾さんは、微妙な反応をして、それから取り繕うような笑顔を私に向けた。  ――私、何かおかしなことでも言ったのだろうか?   「じゃあ、買ってくるから、そこに座って待ってて」  鍵を持って、荘吾さんが玄関から出て行こうとする。私が「はい」と返事をすると、彼は何かを思い出したように、足を止めて、こちらを向いた。 「そうだ、君の主治医に言われてるんだけど、暫くテレビは見ないように。ほら、頭を打ってるから、テレビの光とかが良くないんだってさ」  私に説明するために、荘吾さんの人差し指が自分の目やこめかみに移動する。 「そう、ですよね、分かりました」  確かに彼の言うことは間違っていないと思い、私は静かに返事をして頷いた。 「じゃあ、いってくるね」 「いってらっしゃい」  彼を送り出したあと、私は少しウトウトしてしまった。病院で寝てばかり居たからだと思う。  微かに夢を見て、少しだけ覚えている。  私が車を運転していて、後ろに乗っている誰かに「今までの色々なことのお礼がしたいんですけど、――さんの好きな食べ物って何なんですか?」と尋ねていた。  その人の答えは「特にない」で、次のシーンでは、私はその人のために焼きそばを作っていて「付属の粉を使うんじゃなくて、このボトルに入った焼きそばソースを使って、さらに梅のふりかけをかけるのがミソなんです」と言っていた。  それを“彼”が気に入って……、彼……? あれは荘吾さんだったのかな?
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