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でも、私は彼の名前を口に出さなかった。彼の正体を誰かに知られるわけにはいかないからだ。般若の面を彼が被っている意味が無くなってしまう。
「え?」
男の頭から手を離した般若は、こちらに静かに近付いてきて、私のことを肩に担ぎ上げた。そして、栄さんに向かって黙って銃を投げて寄越す。栄さんは、もう立つのもやっとだと言うのに、ここに残して行く気だと分かった。
「栄さんを早く助けてください! 私は平気ですから!」
どちらか一人を助けるというのなら、部下である栄さんを助けてほしい。だって、禅さんは大黒柱なんでしょう? 家族なんでしょう?
「……行ってください」
消え入りそうな声が聞こえた。震える手で銃を拾い上げた栄さんだった。
「私じゃない! 栄さんを……」
大きな声を出したらズキズキとしていた頭に一際酷い痛みが走った。きっと、気を失う前に頭を殴られた所為だ。それがぶり返して、意識がフワフワとしてくる。
「……」
般若は黙って栄さんを残して、静かになった私を担いだままカンカンと鳴る階段を上った。その途中でパンッと軽く弾けるような音がして、「殺したか……」と彼が呟いたのが聞こえた。やっぱり、禅さんの声だった。仲間を見捨てた、最低な人。
「……ぃ」
一般人が入れる場所の近くになって、私は通路に敷かれた赤いカーペットの上に転がされた。般若の面が私の横に転がる。
「ぜ、んさん……」
頭が痛い。意識が今にも飛びそうだ。
「俺が殺すまで死ぬな」
私の耳元でそう囁いたあと、禅さんは表情を変えてこちらに背を向け、大きな声を出した。
「すみません! 誰か! 誰か、来てください! 女性が倒れているんです!」
強いけれど、誠意のある印象の良い声音。優しい人の声。
これが……禅さんの、表の姿……――。
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