第四話 瀧~千代田朔~

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 男に言い寄られたり、体を(さわ)られることを、朔はこれまで決して望んでこなかったはずだった。だが今、朔は紫月に対してだけはなぜか嫌悪感を感じていない。恐怖感もない。それどころか、時間が経てば経つほど、三日前の夜のことを思い出して、今もこんなに胸をドキドキさせている。  きっと、あんなこと言われたせいだ。守る、なんて言われたから……。  『お祓い』の(あと)、「朔のことは、俺が守る」と、確かに紫月はそう言い残して帰って行った。かつて他人にあんなことを言われた経験は一度だってない。今まで外見で同性愛者だと勘違いされ、男に(さそ)われたり、告白されたり、(ある)いは不意に背後から抱きしめられたこともあった。一方的にキスをされた経験だってある。だが、「守る」なんて言われたことは一度もなかった。今、朔は体で支払うとか、セックスがお祓いになるとかいうことよりも、紫月に言われた言葉がどうにも気になって仕方がないのだ。  僕を守るっていうのは、きっと、客だからってことだよね……。別に特別な意味があったわけじゃない、よね。  特別な意味とは。それを具体的に想像して、たちまち顔が熱くなる。そんなわけない、と思い直して、朔はグラスの中の水を一気に飲み()した。  守る……って。あんなこと、みんなに言ってるのかな……。  朔を守ると言った、紫月の顔が浮かぶ。慌てて頭を横に振った。考えれば考えただけ、さらに胸の鼓動は速くなった。 「はあぁー……、もう……」  深く重いため息を()いて、項垂(うなだ)れた。言い慣れているのかもしれない。心を揺さぶられたあの言葉も、紫月にとっては馴染みの商売文句なのかもしれない。きっと、気にするだけ損だ。そう思ってみても、無意識のうちに朔は紫月のことを考えてしまっている。ここ三日ほどは、もうずっとこんな感じだった。  そもそも、背中の(あざ)のことだって、確認とか言ってたけど、結局何だったのか全然わかんない……。ただ、あの時すごく――、悲しそうだったような……。  紫月に背後から抱きしめられたのは、痣を見られた直後だった。朔は、その時の紫月の表情や声をぼんやりと思い出してみる。少なくとも紫月がどこか悲しそうに見えたのは、確かだった。  変なの……。痣が何なんだろう……。っていうか、なんでこんなに僕は、あの人のことが気になるんだろう……。  今、外は太陽が高く昇った昼間だというのに、月明かりに照らされた紫月の妖艶(ようえん)な笑みが脳裏(のうり)に浮かんだ。さらに顔は火照(ほて)り、体には(すで)に汗が(にじ)んでいる。朔は思わず、頬を手の平でパチパチ(たた)いた。  あぁー、もう! 気にしない、気にしない! とにかく今はもう蛇はいなくなったんだから、あんな人は(ほう)っておけばいいんだ……!  するとその時、隣でくすくす笑う声がした。朔はハッとして隣を見る。 「大丈夫か?」 「すっ、すみません……!」 「オレで良ければ相談に乗るぞ」  そう言って、瀧は(そば)にあったピッチャーを取ると、(から)になっている朔のグラスに水を()いでくれた。 「あ、ありがとうございます……」  朔はペコッと頭を()げてから頬を掻く。 「でも、その――。ものすごくくだらないことなんです……」 「かまわないよ」 「はぁ……」  朔は瀧の顔をちらっと(うかが)った。瀧は(ほお)(づえ)をついて、ニコニコしながら朔が話し始めるのを待っているようだ。 「さっきから、何をそんなに考えてるんだ?」 「いや、あの……、ですね……」 「うん」 「ちょっと……、気になる人がいて――」 「え?」  あ……。しまった……っ!  見れば、目の前で瀧は不思議そうな顔をしている。その()(かた)では当然だった。朔は今、頭の中で悶々(もんもん)と考えていたことを、何の説明も脈絡(みゃくらく)もなく話し出してしまったのだ。しかも、仕事の昼休み中に、上司を相手に自分は一体何を相談しようとしているのだろうか、と改めて考えると、朔はもう恥ずかしくて(たま)らなくなった。 「何だ、千代田。お前、好きな奴でもいるのか?」  朔は慌てて首を横に振った。 「ち、違います……! その、ちょっと知り合いに変な人がいて――。う、鬱陶(うっとう)しいって意味です!」 「変な人……?」 「そうっ! そうなんです! その人が言うんですよ! 僕は……誰かに、狙われてるって……!」  咄嗟(とっさ)に話を作ってそう言った。途端に瀧は()き出して、ゲラゲラ笑う。 「おいおい、何だそりゃ?」 「か……っ、会社の中で誰かに、嫌われてたりとかしないか、って……」 「はぁ? 神妙(しんみょう)な顔して思い詰めて何かと思えば……!」  瀧は腹を抱えてなおも笑っている。朔の考え事が相当ツボに入ったらしい。 「お、可笑(おか)しいですよね……。やっぱり……」 「悪い、悪い。でもまさか、そんなことを思い悩んでいるとは知らなかった……!」  とりあえずこの場は、愛想(あいそ)(わら)いをしておいた。
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