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ちょっと待って……。この人さっきからまさかと思うけど……、何かやらしい事しようとしてるんじゃ……。
そう思った時、体中の肌がゾクゾクッと粟立った。紫月が今、自分に向けている気持ちが邪なものであることは容易に想像がついた。実際、こういう経験ははじめてではないのだ。
「あの、もう離してくれませんか! 一体何のつもりでこんな――」
「朔は……、わからないの?」
「はい……?」
「……わからないんだね」
朔の言葉を遮った、その声はやはり真剣そのものだ。だが、朔にはその理由など到底わかるはずもなかった。初対面の男に服を脱げと言われた挙句、背後から抱かれる理由があって、仮にそれを事細かにここで説明されたとしても、ちょっと理解できそうにない。
「わかるわけないでしょ! っていうか、紫月さん。僕と変な事しようなんて考えてないですよね?」
「朔……」
「悪いけど、僕はそっちの趣味はありませんから……!」
そう言った時、紫月がとても悲しそうな目をした、ような気がした。が、そんなのは知ったことではない。朔はそれにはかまわずに続ける。
「そういう期待なら、しないでくださいっ!」
はっきり言わなければならない。こういうのははじめが肝心なのだ。
「も、もし……っ、か……、か、体で払えとか言われても……! 僕は、絶対に無理ですからねっ!」
その可能性を懸念して、精一杯、真面目に、力一杯声を出して断った。……はずだった。それなのに、紫月の顔には笑みが戻っていく。それは意地悪そうでいながら、溢れ出るような色気を感じさせた。艶やかな、美しい笑みだった。
「それは、いい案かもね」
「は……?」
「俺は、朔なら大歓迎だよ」
耳元で囁かれる声は低く、柔らかな深みがあって色気に溢れていた。朔は慌ててもう一度言った。
「いや、だから! 僕は無理なんです……!」
「無理かどうかは、やってみなきゃわからないよ」
「え? や、嘘……、ホントにちょっと待って!」
朔は抵抗し、必死に腕を振りほどこうと試みる。だが、紫月は決して朔を離そうとはしない。背後からきつく抱かれ、身動きが取れないまま頬に口付けられる。
「朔、一ついいことを教えてあげる」
優しい声だった。これが今、無理矢理に朔を押さえつけている男の声だとは到底信じられなかった。
「霊にはね、苦手なものがいくつかある。謂わば弱点みたいなものだ。実は、その中の一つにセックスがあるんだよ」
「セッ……?」
いや、もう何言ってんの、この人……!
紫月が何を言っているのか、朔には全く理解できなかった。霊の話なのか、セックスの話なのか、そもそもさっきの背中の痣の話は一体どこへいったのか。一気に頭が混乱してくる。
「どうでもいいからとにかく離して……!」
必死に懇願するも、朔の願いはやはり聞き届けてはもらえない。
「ダメ。いい? 朔。霊はね、神聖なものや清めるものが苦手なんだ。塩、酒、水、それから……セックス」
「そんな――! そんなわけないでしょうっ!」
セックスでお清めするなんて聞いたことがない。
「僕はっ、そんなので騙されませんよ……!」
きっとこの男は、自身の邪な欲望を満たそうとしてこんな嘘を吐いているのだ。その手には乗るものか、と朔はそう思った。だが、紫月は余裕たっぷりに、笑みを含ませた声で答える。
「本当なんだよ。なぜだかわかる? 彼らは死者だ。命は既に終わっている。だけど、セックスの本来の目的は、それとは真逆なところにあるだろ?」
セックスの……本来の目的……。
「それって……、まさか……」
「そうだよ、子どもを作る為。もしくは愛を育む為だ。生命を誕生させる為にすること、或いは愛が生まれて育まれる力と、死者である彼らの存在は相反していて、逆の波長を持ってる。それに、愛し合うっていう行為は本当に神秘的なことなんだ。だから彼らはセックスが苦手なんだよ」
「うっ、嘘だ……っ」
朔はかぶりを振った。
「嘘なんか言わないさ。例えば、朔が俺の手で感じてくれるだけでも、この家の浄化にはなるくらいなんだよ」
やっぱり信じられなかった。大体、相手が女性ならまだしも、紫月は男だ。
「感じてって、だって……、紫月さんは、おっ、男の人で……! 僕も男です! 子どもなんか――」
「子どもはもちろんできない。でもね、実は大事なのはそこじゃないんだ。命ある者が誰かを愛する為の行為っていうこと自体に効力があるんだよ」
「それじゃ……、あなたと僕が今、ここでセ……、セッ……」
「そう。セックスすれば、霊はいなくなるってこと。簡単に言えばだけどね」
簡単に言われても困る。大体、実際には愛し合っていない者同士でも、それは同じことが言えるのだろうか。……いや、そんなことはどうでもいいのだ。
「冗談じゃありません……! おおぉっ、お断りします……っ!」
朔は怒鳴り声をあげたが、その背後で、紫月はやはりくすくす笑った。いくら容姿端麗な相手と言えども、男とセックスなんかできるものか。朔は紫月の腕の中でじたばたと暴れた。が、やはりその腕も体もビクともしない。
「それなら出世払いもゼロだよ。どう? いい考えだろ?」
……どこが!
「そんなもんでちゃんと祓えるわけないし、万が一できてなかったらどうするつもりなんです? 取り返しつかないじゃないですか!」
「ちゃんと祓えると思うけど……。あ、もし信じられないなら、これからちょっとだけ試してみようか」
「試す……?」
「うん」
「そんなこと――、んむ……っ」
……できるわけない!
そう言いかけた言葉は一瞬で遮られた。ぐいっと顔を横に向けさせられて、次に感じたのは息苦しさと、唇に重ねられた熱。それから、柔らかな感触だった。
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