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「朔……、勃っちゃったね」
低い声でそっと囁かれ、熱い吐息が耳にかかる。肌がゾクッと粟立った。ドクドクと高鳴る心臓の音が、さらに速くなる。
「や、です……。見ないで、ください……」
仮にも成人男性であるのに、なんて恥ずかしい恰好を晒していることだろう。本当なら今すぐどこかに身を隠して、一人、膨れ上がっているその場所に触れて扱いて、一気に絶頂へと昇りたいものだ。だが、きっと紫月がそうはさせてくれない。かと言って、この状況で紫月にそれを頼むわけにもいかない。
「も……、やめっ……」
「ダメ」
紫月は手を止める気はまるでなさそうだった。――が、不意に朔の胸の突起を撫でていた手は離される。唇も同時に離された。やっと解放される、とホッとするのも束の間。紫月は手をゆっくりと腹の下へ移していった。
「すごく窮屈そう……。ここ、触ってあげようか」
朔はギョッとしてかぶりを振る。
「やっ……! いいです……っ!」
「大丈夫だよ。任せて」
「や、あ……っ、ダメだってばぁ……!」
がっしりと片腕で体を抱かれたまま、もう片方の紫月の手が朔の股の間へ伸びていく。
待って……! 今、そこ触られたら僕……、もう……!
紫月の手の平がグッとその膨らみに当てられた瞬間――。体の奥から溜まりに溜まった熱の渦が勢いよくせり上がってくる。朔はもう、それを抑えきれなかった。
ホントに……、イッちゃうよぉ……っ!
「やあぁ……ん、あぁ……っ!」
ビクンッ! と全身が脈打つように痙攣する。と同時に、堪え切れなくなった股の間のそれは、服の中で濃密な熱を吐き出してしまった。その後はすぐに、脱力感がやって来る。朔の理性を壊した紫月の手はそこに当てられたまま、動きを止めていた。しん、と静まり返った部屋の中では今、朔と紫月の荒くなった呼吸だけが響いている。だらんとしてしまった朔の体は、また紫月にぎゅっと抱きしめられた。頭の中は真っ白になって、何も考えることができないまま、ただ恍惚とした余韻だけが残った。
「朔……、もしかしてイッちゃった……?」
果てたばかりの脱力感に加えて、今のこの状況があまりに恥ずかしくて、朔はもう頷くこともできなかった。
「ごめん……。パンツ、汚れちゃったね」
「し……、紫月さん……」
「ん?」
朔は呼吸を必死に整えて、紫月を振り返って睨みつける。
「どうした?」
どうしたもこうしたもない。あまりにしれっと涼しい顔で聞かれたおかげで、朔はすぐに余韻から抜け出して、我に返ることができた。
「このぉっ……」
「おっと!」
思わず紫月の顔を殴ろうとしたが、まるで力が入らない。朔の必死の攻撃は紫月に当たることはなく、逆に手首を取られてしまった。
「暴力反対」
くすくす笑いながら、紫月は言う。余裕たっぷりのその笑みが憎らしくて、でもやっぱり魅力的で、朔は悔しくて堪らなくなった。
「それを言うならあなたの方でしょ! 僕は……、散々やめてって言ったのに……!」
「でも、朔、すごく気持ちよさそうだったし……」
それを言われると、途端に言葉に詰まった。実際、その通りだった。
「すごく、いい顔してた」
「生理現象です!」
朔が離れようとしても、紫月の腕がそれを許さなかった。細いながらにも筋肉のついた逞しい腕に囚われて、朔は不貞腐れながら口を尖らす。こんな時には、いつにも増して自分の小柄な体格が恨めしくなった。
「僕はちゃんと断ったし、抵抗もしたのに……! あなたが全部無視したんじゃないですか!」
「あれ、そうだったっけ?」
紫月にしれっとそう聞き返され、怒りはさらに込み上げる。
「しらばっくれないでくださいよ!」
「ごめん、ごめん……! そんなに怒らないで。あっ、パンツ穿き替えなくて大丈夫?」
「大丈夫じゃありません……!」
朔の下着の中では、どろっとした熱い体液が吐き出された状態のまま、まだ自由を得られずにいる。湿ったままのそこが心地悪くて堪らなかった。スラックスと下着に締め付けられながらも快楽を感じて膨らみ、逃げ場がないまま欲望を吐き出した朔のそれは、今どうなってしまっているだろうか。もう、確認するのも怖い。
「最悪です!」
「ごめんね。でも、すっごく可愛かったよ、朔」
火照る朔の頬に、紫月は軽く口付けた。
「そうだ。お詫びにそこ、キレイにしてあげようか」
「いい……っ! いいです……!」
朔は慌てて口付けられた自分の頬を手の甲でごしごし擦った。何が悲しくて男に愛撫された後、自分の体液で汚れてしまった下半身の後処理までされなければならないのだろう。
「僕もう、このまま風呂入るんで!」
「一緒に入る?」
「入るわけないでしょ!」
「冗談だよ。……やっぱり、可愛いな」
紫月は暢気にそう言って笑ってから、やっと朔を離した。朔はすぐに紫月と十分な距離を取る。そうして立ち上がって玄関を指差した。
「もう、さっさと出てってください! こんなことされる為に、僕はあなたに家に来てもらったんじゃありませんから!」
「寂しいこと言うなぁ。まぁ、でももうしっかり蛇は祓われていなくなってるみたいだから……、とりあえずいいか」
いいか、と言われても朔には見えもしないのだ。『いる』も『いない』も、朔は今ここで、それを確認することはできない。ちゃんと祓われているかどうかは、今夜、床についてみなければわからない。
「そんなこと言われても、今日、眠ってみないと僕にはわかりませんし、見えません!」
この人……! もし、インチキだったら訴えてやる……!
「そっか、そうだったね。あ、良かったら添い寝――」
「要りませんって!」
朔が声を荒らげると、また紫月はくすっと笑う。何も面白くなんかない、と朔は頬を膨らませた。
「じゃあ朔、俺は今日はこれで帰るから。もしまた何かあったらすぐ連絡して」
「するわけないでしょ!」
「ダメだよ」
不意に紫月の顔が朔に近づく。朔は後ずさりをしたが、いつの間にか腰には紫月の腕が絡みついていた。
「朔のことは、俺が絶対守るから」
唇に軽く口付けられた。一瞬だった。
「へ……」
「そう決めたんだ。ちゃんと連絡して。じゃあ、またね」
そう言ってすぐ、紫月は家を出て行った。口を半開きにしたまま、朔はポカンとして居間に立ち尽くす。玄関のドアから紫月が出て行く音がした。部屋の中は物音一つなく、ただ朔の浅い呼吸音だけが響いている。
守るって、何……? ……っていうか、あ、あれ……?
自分の身に起こった状況を呑み込めず、混乱しっぱなしの脳内は、エラーを起こしたまま完全に空回っている。それでも朔は、今さっき起きたことを懸命に思い返した。
僕……、キスされて……。
紫月の柔らかい笑みと一瞬で腰に絡みついてくる腕、それからまだ残る唇の感触を思い出し、口元に手を当てる。
ドキドキしてる……?
今まで、同性に言い寄られたことはあった。一方的にキスをされたのも、実を言うとこれがはじめてじゃない。けれど、それにはいつも嫌悪感や恐怖感が少なからずあったはずだった。もちろん、服を脱がされ、肌を、そして股間を触られて果ててしまう、なんてことはされたことがないし、今日、紫月に怒りを覚えたことは否めない。けれど朔は、今日紫月にされたそれらにすらも、嫌悪感や恐怖感を感じるよりも、寧ろ快感を得ていた。
何これ……。こんなこと今までなかったのに……。
朔はへなへなとその場にしゃがみ込む。体にはすっかり力が入らなくなっていた。それなのに、紫月とのキスを思い返して、再び心臓はドクドクと高鳴り始めている。なぜかとても苦しくなって、朔は思わず胸の辺りに手を当てた。
なんでだろう……。心臓が……痛い。
何から何までわからないことだらけの中で今、ハッキリしているのは一つだけ。朔は今日、思いがけずゲイ疑惑のある奇妙な霊媒師の男に出会い、すっかり気に入られてしまったらしい、ということだ。
「だから僕は……そっちじゃないのに……」
情けない声でそう言った時。股の間に、ぐちゃっとした気持ち悪さを感じて、朔はそこへ目をやった。途端にその下の状況にげんなりして、再びよろよろと立ち上がる。
「とりあえず、お風呂入ろう……」
体に力がうまく入らないままでふらつきながら、朔は風呂場へ向かった。その日出会った霊媒師の男、時村紫月は、間違いなく怪しく、そして異常なほど美しい男だった。朔は不思議なその魅力に翻弄されながら、ただ戸惑い、混乱していた。妙だったのは、紫月に対して、さほど恐怖感や嫌悪感を感じなかったことだ。言葉で拒否をするのとは裏腹に、体は確かに反応していた。そんな自分を理解できず、朔はひどく困惑もした。
それは、とある秋の事。満月が高く天に昇り、その白い光が煌々と街を照らす、夜の出来事だった。
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