第一話 満月の夜に~千代田朔~

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 草むらで秋の虫が鳴き、乾いた夜風(よかぜ)が心地よく吹く、九月下旬のある夜。千代田(ちよだ)(さく)は、都内のとある公園内を歩きながら考えていた。実際に来たことがなかったのになぜかよく知っていた、この場所のことを。  数ヶ月前に越してきた家からほど近く、歩いても十分(じっぷん)そこそこのこの場所へ、朔が足を踏み入れたのは初めての事だった。それなのに、その敷地内にある(かがみ)(いけ)という場所について、朔は自分でも不思議に思うくらいよく知っていた。  鏡池とは、園内の遊歩道を歩いて行った先の一番奥にある、池の名前だ。水面(すいめん)に映った自分の姿をまるで鏡のように見られることから、その名前がつけられているらしい。地域の人々に(いこ)いのオアシスとして親しまれているそれは、一見(いっけん)、大きな公園なんかによくあるような、ごく普通の人工池のように見える。だが、実際はかなり古くからある池らしく、昔は湧水(ゆうすい)もあったという。今は移されてしまったらしいが、以前、池のほとりには小さな(ほこら)があって、池の水は神聖なものとされていた。飲むと病が治るとも言われていたらしい。  と、まぁこんな話をいつどこで聞いたのか。改めて考えてもそれは(さだ)かではなかった。が、情報社会と呼ばれる今の世の中で、インターネットやテレビ、雑誌などを通して、あらゆる情報が自然と頭に入って来てしまうことは、そう不思議ではない。きっと鏡池の話も例外ではなかったのだ。何らかの形で見たり聞いたりしたことがあったのかもしれない。そしてたぶん、それを理由もなく、何となく覚えていた。朔はそう思うことにした。  それにしても……。この公園、夜はこんなに暗いんだ……。  ここは本当に東京だろうか、と思いながら、朔は鏡池を目指して園内を奥に進む。行けば行くほど、都会の雑踏(ざっとう)は消え、人工的な光は届かなくなっていく。所々に寂しげに立つ街灯には、()や甲虫なんかが寄ってたかって舞っていた。それは時々、街灯めがけて体を強くぶつけては(せわ)しなく羽をばたつかせている。その音をかき消すように、足元では秋の虫が(しき)りに鳴く。  ()(しげ)る木々のせいでより鬱蒼(うっそう)としてくる狭い小道を行くと、時々、体を密着させながら歩く男女とすれ違った。その度に朔は鼻を鳴らし、その辺に落ちている小石を軽く()った。  (ひと)()につかないこの場所で二人きりの世界に(ひた)り、甘い時間を過ごそうとしている彼らにとって、この暗い公園は都合のいい場所なのかもしれない。ただし、ちょっとだけ不貞腐(ふてくさ)れたくなったのは、自分にそういう機会が(めぐ)って来る気配がまるでないせいだった。  朔は今までまだ一度も、恋人ができた(ためし)がない。誰かに恋愛感情を持って、想いを打ち明けたとしても、それが叶うことは決してなかった。そういう自分は今ここにあまりに似合わないのではないか、と急に肩身が狭くなったように感じて、朔はまた鼻を鳴らす。  どうでもいいけど、待ち合わせ場所……、なんでここだったんだろう……。  心の中で(つぶや)きながら、朔はやっと池のほとりまで来た。夜空に浮かぶ電灯のような明るい満月が、そっくりそのまま水面(すいめん)に映っている。まるで鏡だ。なるほど、こんなに綺麗(きれい)に映るのか、と感心しながら、朔は首を(かし)げた。妙な()視感(しかん)があったのだ。もっと前から当たり前に、この風景を知っていたような気がした。  何だろう……。前にもこんなことがあったような……、なかったような……。  ちょっと不思議な気分になって、朔はぼーっと水面(すいめん)に映る月を(なが)めた。だが、きっとこれも、自分が今まで見たことのある好きな風景と、今ここにあるそれが何かしらの共通点を持っているせいに違いない。たぶん『デジャブ』とかいうやつだ。  ふと見ると、池の真ん中には木製の橋が渡してあった。橋の上には、小さいベンチがいくつか設置されている。その一番手前のベンチに座っている一人の男を見つけ、朔はごくりと(つば)()んだ。  もしかして、あの人……?  その男は、月明かりに照らされながら(ほお)(づえ)をついて足を組み、ただじっと池を見つめていた。肩につくほどに長い、うねりのある髪。横顔だけで恐らくは美形だとわかってしまうそのシルエット。組まれた足は細く長い。背丈(せたけ)は間違いなく高そうだ。  恐る恐る、朔はポケットから一枚の名刺を取り出して電話をかける。呼び出し音が鳴った。ほぼ同時に、その男はベンチに腰掛けたままケータイをズボンのポケットから取り出した。 『はい』 「あの……、もしもし。こんばんは……」  緊張で少し声が(かす)れた。自分でも驚くほどとても小さい声しか出なかったが、それでも朔が来たことに気付いたのだろう。男がこちらを向き、すぐに目が合った。 『こんばんは。君が、千代田――朔くん?』  低く静かで、深みのある声だった。目が合ったまま、ケータイから聞こえてくるその声はとても優しげだ。朔が(うなず)くと、男はケータイの通話を切るなり朔に近寄って来て、深く頭を()げた。やはりその背は高い。少なくとも、百八十センチくらいはありそうだ。 「はじめまして、(とき)(むら)()(づき)といいます」 「は、はじめまして……。千代田、朔です」  朔も釣られて頭を()げた。彼との出会いの発端は、約数時間前に(さかのぼ)る。
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