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「さぁて。じゃあ、とりあえず話を聞こうか」
朔の目の前で、時村紫月、と名乗った男はそう言って、またベンチに腰を下ろした。それから朔もその隣に座るよう、手でベンチをポンポン、と二回叩いて促される。
「はい……」
返事をして朔が座ると、紫月はにこっと笑みを浮かべて長い足を組み直す。
「俺のことは市川さんから聞いたって言ってたね」
「はい。市川さんは会社の先輩で……。め、名刺を……もらいました!」
朔は市川からもらった名刺を紫月に見せる。
「なるほど。で? 悪夢を見るって?」
「はい……」
朔が力なく返事をすると、紫月は朔の体を上から下までゆっくりと見つめてから言った。
「だろうねぇ……」
「えっ……?」
「だって君、足に蛇、憑いてるよ」
「……っ!」
「真っ赤なやつ」
声が出なかった。朔は慌てて自分の体を確認する。だがそこには蛇どころか、虫一つ付いてはいなかった。紫月は朔の足元をじっと見つめている。
「あー……。しかもこれ、悪霊だね」
「悪霊……?」
「うん。悪霊って言ってもね、死んだ人の霊もあるし、動物の霊もある。生きている人の強い念が飛んで、姿形になったものなんかもあって色々なんだけど……、これはとても複雑なタイプだ。死者の霊と生霊が混じってる」
何それ……。どういうこと……?
さらりと説明してくれたのはありがたいが、朔には全く意味がわからなかった。ただし、どんなものにしろ、それが気味の悪いものであること、そして悪霊と言うからには、足に憑いているというそれが少なくとも良いものではないのだろう、ということだけはわかった。
「このタイプはね、元々は悪霊化した死者の霊なんだけど、それが生きた人間に憑依して生霊として念を飛ばしてるんだよ。見た感じだと、執着心だね……。恨みつらみも相当強いみたいだ」
「生霊……って……」
「今、生きている人の霊魂のこと」
「じゃあ今、生きてる誰かが僕に対してそういう風に思ってるって……ことですか?」
執着、恨み。それを聞いても、朔はピンと来なかった。朔にはそんなものを向けられるような覚えはない。だが、紫月はしっかりと頷いた。
「ご名答。形としてはそういうことになるね。ただ実際は、悪霊の仕業、ということ」
「な、なるほど……」
最初は占いなんて半信半疑だったが、まだほとんど何も話していないうちから『赤い蛇が憑いている』と言われ、朔は時村紫月というその男を信じないわけにはいかなくなった。朔が毎晩夢で見る蛇はまさに真っ赤だったからだ。これは占いという統計学でも、話術によって引き出されたわけでもない。きっと彼には本当に何かが見えているのだ、と朔はすぐにそう思った。
「これはまず、その人が誰なのかを探して祓わないと、また憑く可能性が高い。あ、だけどこのタイプは――」
「あの、時村さん……! 一時的でもいいので、今すぐ祓っていただけますか……!」
紫月の言葉を遮り、朔は言う。悪霊のタイプの話なんかどうでも良い。とにかく早く祓ってくれさえすればいいのだ。だが、焦る朔を見て、紫月は少し困ったような顔をして笑った。
「あー……、良かったら俺のことは下の名前で呼んで。俺も、朔って呼んでいいかな?」
「え……っと、はい。し、紫月さん……で、いいですか?」
「うん。ありがとう、朔」
名前で呼ぶと、紫月はとても嬉しそうに微笑んだ。その笑みは、夜空に高く昇った満月の光に照らされて、色気すら感じてしまうほど美しかった。朔は隣に座って柔らかい笑みを浮かべる紫月を、今一度確認するように見つめる。
この人、イケメンだなぁとは思ったけど……本当に、ものすっごいイケメンだ……。
それは、照る月明かりによる演出のせいではない。立派な成人男性の朔から見ても、紫月は間違いなく魅力的だった。切れ長の二重の目は笑うと細くなっていちいち艶っぽく見えるし、鼻は高く、鼻筋がスッと綺麗に通っている。その端正な顔つきに、黒くうねりのある長髪がまた憎らしいほどよく似合っていて、パリッとした白いシャツに緩めのズボンを履いたシンプルな服装が、やけに洒落て見えた。胸元には綺麗な石のついたペンダントを下げている。どれを取ってみても、少しも嫌味がなかった。今時の流行にとらわれていない品の良さが、紫月にはあったのだ。
確かに、市川さんが騒ぐのもわかる気がするなぁ。だけど……、なんでこんな人が霊媒師なんかやってんだろ。
これは完全に朔の偏見であるが、この風貌で紫月が霊媒師という仕事を生業》《わい》としているのは、ちょっともったいないような気もした。紫月は見た目でいえば、モデルや美容師なんかにいそうなタイプだ。もちろん、霊媒師が悪いとは言わない。ただ、紫月ならきっと数多くの職を選べただろうに、なぜそれをやっているのか、というのは少し気になった。ぼんやり考えていた朔を見て、紫月がくすっと笑う。
「俺の顔に、何かついてる?」
朔は慌ててかぶりを振った。
「い、いいえ……っ!」
つい見入ってしまった、と思いながらその魅力を確認するかのように、朔はまた、紫月を見つめた。美しいものは、何度でも見たくなる。それにはどうやら男女は関係ないらしい。
「それで……、この赤い蛇だけどね」
朔の足元を見つめて指を差し、紫月は話題を戻す。
「これは子どもみたいなものだから、どこかに親がいるはずなんだ。一時的に祓ってもいいけど、それじゃあ……」
「でももう、僕……、このままじゃ寝不足で倒れそうなんです……!」
朔はもう一度、紫月の言葉を遮って言った。とりあえず、今晩寝ることができればいいと思った。このまま、自分の体力が一体いつまで持つのか。もう朔自身もわからないのだ。
「紫月さん……! 何とか、今夜中に祓ってください! お願いします!」
朔は深く頭を下げる。紫月はため息を漏らした。
「……わかった。じゃあ、早速朔の家に向かおう。念の為に家の中にも入り込んでないか、視てあげるよ」
「あ……、ありがとうございます……!」
朔は安堵して目を潤ませ、もう一度頭を下げる。すると、その頭の上に不意に手が乗った。
「よーし、一仕事だ。大丈夫、きっとよくなるからね」
「本当ですか……」
「もちろん。俺を信じて」
頼もしい、そして優しい声だった。朔は期待を胸に膨らませて、紫月と共に家路を急ぐ。家へは十分ほどで着いた。朔はとりあえず、そのまま居間に紫月を通す。それから小さな座卓の前に座布団を出し、ジャケットを脱いでハンガーにかけてから、お茶を煎れた。
「どうぞ……」
「ありがとう」
ニコッと笑いかけられて、朔の心臓が一瞬、跳ねる。相手が男であることも関係なしに、心臓は高鳴り始めていた。まるで芸能人でも家に招き入れたような気分だ。オーラとかいうものがもし本当に存在するのであれば、きっと紫月はそれを纏っているに違いない。
なんだか、どこ見たらいいのかわかんないや……。
紫月の顔を直視できずにいると、ふと、その胸元に目が留まった。そこにはペンダントが下げられている。それのトップに付いている薄い緑色の石は透き通っていて、明るい光の下で見ても、とても美しかった。それがどういう物なのか。高価なものなのか、そうでないのかすらも、朔には全くわからない。だが、不思議と目を離せなくなった。ぼーっと眺めているうち、紫月が聞いた。
「気になる?」
「え……っ」
「石。ずっと見てるから」
「あぁ……。えっと、綺麗だなぁって思って……」
朔が言うと、紫月はペンダントを外してそれを朔に手渡した。朔は、手にしたその石をじっと見つめる。
「その石ね、蛍石って言うんだ。以前、ある人から『お守りに』ってもらったものなんだよ」
「へえ……」
朔は、蛍石というそれを電灯にかざしてみたり、中を覗いたりしてみた。澄み切った緑色が神秘的な輝きを放っている。首にかける紐の部分は細く、見たところ麻か何かでできているようだが、随分と年季が入っている。しかし、やはりとても美しかった。
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