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しかし、いくら頼りがいがあって優しくても、依歩の気持ちを相談することはできない。依歩はもう、隆臣に振られているのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
――とにかく、忘れなきゃ。一日も早く。
同じ人間に対しての『好き』なのに、克己を慕う『好き』の気持ちと、隆臣を求める『好き』の気持ちは、どうしてこんなにも違うのだろう。苦しさと焦燥感だけが溶けない雪のように降り積もっていった。
始発列車にはいつも、一日の終わりを生きている人と、一日の始まりを生きている人が混在している、と依歩は思う。夜通し働いてきた依歩とっては、長かった一日の終わりだ。
深夜から始まったイベントの撤収作業の仕事を終え、依歩は帰路についていた。始発列車は空いていて座れるが、座ったら最後、終点まで行ってしまいそうで、依歩は扉付近に立ったまま、大きな窓から外を眺めていた。
時折ガラスに映り込む自分の顔は、睡眠不足で生気がない。しかし、一度家に帰ってシャワーを浴びた後は仮眠をとって、鏑木ビルに向かうのだ。
ここ三ヶ月ほど、こんな生活を続けている。暑かった今年の夏も、後半は仕事ばかりしていてあっという間に過ぎ去った。
鏑木ビルに着くと、重たく鈍い頭をどうにか起こし、慣れ親しんだ朝の業務をこなしていった。昨日深夜からタイトな予定で仕事を入れたのは、明日が二週間ぶりの休みだからだ。
――今日を乗り切ったら、明日はちゃんと休む。だから、持ち堪えないと……。
深夜アルバイトの作業途中で夜中にお弁当を食べたからか、空腹ではなかった依歩は、今日の三人での朝食には参加しなかった。その間に、外の掃き掃除を終わらせる。時折吹く木枯らしが、体を芯から冷やしていった。この時期は駐車場や玄関に落ち葉が入り込みやすい。ガタガタと震えだす体を叱咤しながら隅々まできれいにすると、昼食の準備をするために三階へ戻った。
室内の暖かさにほっと気を抜くと、急に頭がぐわんを揺れた。目の前がちかちかして、吐き気が込み上げてくる。立っていられなくなり、すぐにしゃがんだが、その体勢すら維持できず、床に倒れ込んでしまう。
「依歩!」
隆臣のよく通る低い声音が耳に届く。起き上がらなきゃ……、そう必死に体を動かそうとしたところで、世界は暗転した。
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