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「え……、僕が……ですか?」
予想もしない仕事の割り当てに、田之倉依歩は大きく目を見開いて固まった。
「そうなんだ。その……、ちょっと特殊なお客様なんだけどね……」
恰幅がよく大柄な所長は、人の良さが滲み出たハの字眉をさらに下げ、少し困ったような表情で依歩を見つめる。いつもの穏やかな笑顔が、珍しく緊張しているようにも見えた。
「親会社の方の、社長のご子息の件……ですか?」
言い出しにくそうな雰囲気に、依歩が助け舟を出すと、所長の表情が少し明るくなる。
「おや、知っていたのか。正確には、依頼主はご子息のマネージャーをされている方で、そのビルで画廊を経営している。依頼内容は、五階建てのビルのオフィスとマンション共有部分の定期清掃、それからそこに住んでいるご子息のお宅で、家事代行をしてほしいそうだ。週三日で、田之倉くんの家からも比較的近いし、定期の家事代行業務に復活するには、良い案件だと思うんだよ」
依歩が勤める鏑木ライフサービスは、家事代行スタッフの派遣や、アパート、マンションなどのビル管理や清掃を主に行っている会社だ。鏑木都市開発という企業の傘下に入っていて、全国に営業所がある。依歩は高校時代からこの会社でアルバイトを始め、卒業してからは社員として働いている。
社長のご子息というのは、依歩がいる会社ではなく、親会社である鏑木都市開発の社長の息子のことだ。鏑木都市開発といえば、日本でも老舗の不動産業を営む会社で、その一族の息子ということは、相当な資産家だろう。
依歩は先週、古株の女性社員たちとビル清掃のシフトが一緒だった時に、この話を聞いていた。噂好きな女性スタッフ達は周囲に丸聞こえの声量で話していて、会話に参加していない依歩も、その時の話の全てを把握した。
『何人かいる社長の息子の中でも、長男だけは後を継いでないんですって。とんだ放蕩息子で、高校からヨーロッパに留学して、今は画家をしているらしいわよ。気ままなもんよねえ』
『私も聞いた話なんだけど、その画家、威圧的な態度で、もう何人も派遣された代行スタッフを追い出しているらしいわよ。まるでヤクザなんですって! いくらお金持ちの息子だからってねえ……』
話し出すと止まらない女性たちの噂話を全て鵜呑みにしてはいけないとは思っていたが、神妙な面持ちの所長を見ていると単なる噂話ではないのかもしれない。
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