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個展の時期が近付いてきたころ、「描き上がったんだ」と言って隆臣が見せてくれたのは、以前、依歩が美術モデルをしていた時に描いていた作品だった。
依歩を元に描かれた絵は、背中から美しいブルーグレーの翼が生えた青年だった。体育座りをして、まっすぐに前を向いて座る横顔は、誰かを見て微笑んでいるように見える。
「きれい……。僕を元に描かれたとは思えないくらい、優美で、神秘的で……」
「いや、どう見ても依歩だろう」
「え……」
冗談ではなく、真面目な顔で答える隆臣の目には、どんな風に自分が映っているのだろか。想像して、少し恥ずかしくなる。
「この翼は、依歩の瞳の色なんだ。自由に、どこまでも、好きなように飛んでいけるように……。あ、いや、俺の元から飛んで行って欲しいわけじゃないんだが……」
頭を掻いて少し慌てた様子の隆臣に、思わず笑みが漏れる。
「飛んで行っても、隆臣さんのところに戻ってくるので大丈夫です」
微笑む依歩に、隆臣は目を眇め、そのままぎゅっと抱きしめた。
「依歩……」
甘い空気が流れ、どちらともなくキスをしようとしたところで、ピンポーンと来客を知らせるチャイム音が鳴った。ぽっと赤くなってしまった頬を手で扇いで覚ましながら、扉を開錠する。
「ちょっとお邪魔するよ――。依歩くん宛に、手紙届いてるよ」
克己が一通の手紙を依歩に渡してくる。
画廊宛に届いた手紙の差出人は、隆臣の父親だった。
「隆臣さん……、これ!」
克己のオフィスで、個展の開催を知らせるダイレクトメールを準備していた時、依歩は、隆臣の家族に宛てた手紙を書こうと思い立った。隆臣からは、もう何年も会ってないと聞いていた。それでも、お互いが生きていれば、何度だってやり直すチャンスはある。どこかで掛け違ってしまったボタンも、時間が経てばするりと外れ、きれいにかけ直せるかもしれない。
依歩は、隆臣がつねに努力し、真摯に絵に向き合っていること、素晴らしい作品に圧倒されたこと、そして自分を何もなかった世界から救い出してくれたこと、などを書き認めた。
返ってきた手紙には、たった一言だけ添えられていた。
「『見に行きます』……こんなこと、初めてだ」
はがきを持った隆臣が、目頭を覆う。依歩は、大きな背中を撫でながら、優しく微笑んだ。
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