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四・夢で逢いましょう
私が見る夢には色が付いていない。いつもモノクロか良くてセピア色だ。だからオールカラーで夢を見るという紀子やミエが羨ましくもあり、不思議でもあった。
さらに素子などは夢の続きを見られると豪語していて、これも私にとってはあり得ないことだった。
前にも言ったように私が見る夢はほとんどが非現実的な、支離滅裂な夢ばかりだ。当然ストーリーなんてものはなく、突然犬に追いかけられたかと思えば、教室で教師達からコンコンと説教を受けていたりと断片的なものが多い。
その中で唯一、私が図書館に出掛ける夢にはそれなりにストーリーがあり、且つ前に見た夢の続きから見ることができた。残念ながら色は付いてはいないが。
「あぶないところだったね」
二人は図書館のロビーに備え付けられた長椅子に腰を下ろしていた。そして二人の手にはとても良く冷えた清涼飲料水があった。私と彼のどちらがそれを買ったのかはよく覚えていない。二人ともすぐにそれを飲もうとはせず、手の中で遊ばせていた。
私は何となく彼の顔を直視できずに、黙って正面の大きな窓から外を見ていた。
緑の葉を付けた広葉樹が真夏の日差しをキラキラと乱反射させ、その背後には大きな積乱雲が夏の空にくっきりとした輪郭を描いて浮かんでいた。
そういえば、私はまだ彼の名前を聞いていなかった。
私が名前を尋ねようと彼の方を向いたとき、彼から先に口を開いた。
「僕は藤沢玲良(あきら)」
彼はそう言って、いつの間にか封を開けた缶コーヒーをくいっと一口飲んだ。
「人の名前を尋ねるときは、まず自分から名乗らないとね。君の名前は?」
玲良がこちらを向いた。それを見て私は一瞬ハッとした。今までも男性から声をかけられてどきりとしたことは何度かあるが、大体そういうときは授業中にボォーッと窓の外を見ていて赤羽に指されたといったシチュエーションだったので、少し意味合いが違うかもしれない。
「白岡ゆかり、です」
「この図書館に来るのは初めて?」
私がうなずくと、彼の顔が少し明るくなった。
「そうだと思った」
「ここへはよく来るの?」
うん、と彼はうなずいた。
「毎日来てるよ。それも朝から夕方閉館するまで」
「夏休み中暇なのね」
「いや、夏休みだけじゃないよ。休館日以外毎日さ」
「?」
私は首を傾げた。
「藤沢さん、高校生よね?」
「あぁ。一応ね」
一応、と答えた彼の言葉が何となく引っかかった。
「学年は?」
彼はちょっとだけ考えるように間を置いてから、
「多分、三年かな」
と答えた。多分ってどういう意味だ、と思っていると、彼は言葉を続けた。
「僕、高校に入ってから一度も学校に行っていないんだ」
それって、不登校ってこと?
「ってことになるのかな」
彼はやや自嘲気味に笑った。
「ある日から、学校へ行くのが何となく嫌になって、それから行ってないんだ……小学校の時は楽しかったよ。それなりにね」
彼の話は小学校の頃まで遡った。
「僕は小さい時から超能力が使えてたんだ。家にあるちょっとした物を動かしてみせたり、ふざけてスプーンやフォークを曲げて見せたりして、たまに度が過ぎると怒られもしたけど、両親には大した才能だっていつも褒められていた」
彼の話に耳を傾けながら、手許のドリンクをいつ口に運ぼうかとタイミングを計っていた。うんうんとうなずきながらペットボトルのフタをそっと捻った。
「学校でもスプーン曲げやカード当てを披露して、ちょっとした人気者にもなった。中学でも超能力でみんなを驚かせて、すぐに友達もできた。僕にとって超能力は他人と仲良くできる優れたコミュニケーションツールだった」
これから彼の超能力自慢でも披露するのかと身構えていたら、思いもしない方向へ話が進んだ。
「ところがある日、クラスで財布がなくなったことがあって、何の証拠もないのに僕が犯人扱いされた。『お前の超能力で財布を抜き取ったんだろう』って。あり得ないことだった。超能力でそんなことができるなんて思ったこともなかったんだから。僕は断固抗議した。そして最後は『そんなに言うんだったら鞄の中でも服の中でも調べてくれ』ってみんなの前で泣きながら訴えたんだ」
彼は窓の外を見ていた。かなりシリアスな話をしているはずなのに、彼の表情は昔話の絵本を読んでいるかのようにとても温和だった。
「担任が鞄をひっくり返して、僕の全身を身体検査したけど、当然財布なんて出てこなかった。だけどその時、クラスの誰かがボソッと言ったんだ。『そんなの超能力を使ったらわからないだろう』ってね。それって、たとえ人を殺していなかったとしても殺人現場でナイフを持っていたら真っ先にその本人が疑われてしまうのと同じ理屈じゃないか」
以前、藤井から「超能力は道具に過ぎない」と言われたときのことを思い出した。道具は使い方次第で良い方にも悪い方にも転んでしまう。
「その後、なくしたと言っていた本人の鞄の奥から財布が見つかって、結局僕は無実だということが証明されたんだけどね。財布の持ち主からも平謝りされたけど、納得できなかった。みんなはそう言う目で自分を見ているのかって思うようになったら、急にクラスの連中を見る目が変わってしまった。表向きはいい顔見せていても、心の中では何を考えているのかわからないって。それからはもう誰も信じられなくなったんだ」
私はペットボトルに口を付けた。お茶だったのか水だったのかよく覚えていないそのドリンクは何の味もしなかった。
「それ以来僕は学校へは行かなくなった。学校に行っていないから頭が悪いなんて言われたくないから、毎日この図書館に来て片っ端から本を読みあさることにしたんだ。物理だろうが科学だろうが哲学だろうが、推理小説だろうが恋愛小説だろうが歴史物やエッセイでも何でも」
「一日どのくらい本を読んでるの?」
「うーん、数えたことはないけど、一日十から二十冊くらいは読んでるかな。新聞は全部目を通すし、雑誌も毎号読んでる。子供向けとか女性向けの雑誌はあまり読まないけどね」
「もうほとんど読んじゃったの?」
「まだ半分くらいかな。絵本とか図鑑みたいに絵の多い本はすぐに読めるんだけど、小説とか全集だと好き嫌いがあるからペースダウンすることもあるかな」
屈託なく笑う彼の姿に私はどう反応して良いのか分からず、口許を引きつらせながら愛想笑いをした。
学校へも行かず図書館に一日中籠もってひたすら本を読むだけの毎日というのはそれはそれで楽しいように思えるが、飽きっぽい私には不向きかもしれない。
そんな奇異な生活を送る彼には休み時間や放課後に気の置けない友人達とくだらない話で馬鹿笑いするようなこともなければ、みんなで出掛けてワイワイ賑やかに過ごすようなこともないのかと思うと半ば憐れみの情すら湧いてきた。
私自身、一人でいることは我慢できるし、たまには一人でいたいと思う時もある。でも、孤独で居続けることには耐えきれない。一人と孤独は全く似て非なるものだ。
目の前の彼はまさしく孤独に身を置いている。
突然、ポシェットの中のスマホがブルブルと震えだして、私は慌ててバッグの中をまさぐった。
液晶画面には〝素子〟と表示されていた。
何の用事だろうと思いながら私は受話器のマークをタップするが、繋がらない。
「あれっ?」
二回三回とタップしても一向に繋がらない。フリップしても同じだった。焦る私は突き指するんじゃないかという勢いで何度も画面をタップしても、やっぱりダメだった。
その間も手の中でスマホはブーブーと呼び出し続けていた。
「ちょっとごめんなさい」
長椅子から立ち上がると、少しでも電波の良いところへ行こうとスマホを握りしめたまま建物の外へ出た。
表に出た途端、モワーッとした空気が全身を襲った。まるでエアコンの室外機から出てくるような蒸し蒸しとした、温風というよりも熱風に近い風だった。
たちまち顔や腕からべったりとした汗が噴き出してきた。キンキンに冷えたドリンクを冷蔵庫から取り出したときに缶の周りにびっちりと水滴が付いたときのような、そんな感じだった。
快適な避暑地から熱帯砂漠へ放り出された私はあまりの暑さに溶けてしまいそうだった。
今なら真夏のアイスクリームの気持ちがわかるような気がした。
強い日差しに軽い立ちくらみを覚えながら、いつまでも呼び出し続けるスマホを握りしめてその場に立ち尽くしていた。
(つづく)
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