1-2 鬼ぃさん、推してました

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1-2 鬼ぃさん、推してました

「花たん! おはようお金貸してっ」 教室に入った途端。顔を合わせるなり、スライディングするように素早く近づき、床に擦るほど深く頭を下げてきたのは、クラスメイトで中学生の頃からの仲でもある、(まち)小桃(こもも)--通称マチコだった。 「お金って……どうしたのマチコ」 おそるおそる訊ねると、かけている青縁の眼鏡が吹っ飛びそうな勢いで、マチコが顔を上げる。 「いやぁソレが昨日、デモ滅のガチャをスーパーで見つけてさぁ! 推しが出るまで回さねばって思ってたら……アラ不思議。気がついたら、お金すっからかんでね。今日のお昼用にパンも買えなくて」 デモ滅--「デーモン滅殺(ブレード)」は、最近人気が出てきたアニメだ。すっかり沼にはまってしまっているマチコは、「ほんとゴメンっ」と両手を合わせてこちらを拝んでいる。まぁ、実を言えばこれが初めてのことというわけでもなく、常に推しへの愛で溢れて暴走しがちなマチコのことは、わたしもよーく知っていた。 「だめ」 きっぱりと告げるわたしに、マチコが「そんなぁっ」と悲鳴を上げる。ちらっと何人かのクラスメイトがこちらを見てくるけれど、マチコは全く気にした様子もなく「後生ですからぁっ」と涙まじりに大声を上げ続ける。 「明日にはお小遣い入るし、ちゃんと返すからぁっ」 「そりゃ、マチコが借りたお金踏み倒すとは思ってないけどさぁ。でもだめだよ、欲望とお金の管理はちゃんとできるようにならないと。今はよくても、大人になってからエスカレートして、消費者金融にでも手を出すことになったら大変だよ。リボ払いとかも、絶対しちゃダメだってこの前、お父さんが言ってたし」 「そんな正論、今は聞きたくないぃぃ」 ぐすぐすと鼻をすするマチコのカバンには、真新しいキャラクターキーホルダーがじゃらりとついている。きっと、昨日の収穫物だろう。 「……お昼抜きがそんなに嫌なら、おむすびでも握ってくれば良かったじゃん」 「えぇえーだってー……」 急にうじうじし出すマチコに、わたしは首を傾げた。 「なにか、理由があるの?」 「イヤーそういうわけじゃないケド」 歯切れの悪いマチコに、わたしが首を傾げたままでいると--。 「デモ滅とコラボしたパンが、今日から発売なのよね」 柔らかい声が聞こえてきて。振り返ると、ふわっとした綺麗な長い髪を背中まで垂らした女子が、すぐそばで微笑んでいた。 「ミサちゃん! おはよう」 「おはよう。花、マチコ」 ミサちゃん--方丈(ほうじょう)美咲季(みさき)もまた、マチコと同じく同級生であり、幼馴染みでもある。 わたしたちが住む地域は、田舎ということもあって、電車通学を選ばない限り高校の選択肢が二つくらいしかない。わたしはバス通学すらめんどくさかったため、自転車で通える今の高校を選んだのだけれど、おかげで小学生の頃からずっと仲の良いミサちゃんと、後から仲良くなったマチコとも同じ高校に進むことができた。 「ミサぴょんんんん」 「気持ちは分かるけどね、マチコ。推しのために借金をするのは良くないわ。『推しのため』がいつしか心の中で、『推しのせいで』となってしまうことほど、悲しいことはないもの」 マチコの両手を握りつつ、諭すように言うミサは、アイドルオタクだ。可愛い女の子のアイドルが好きで、雑誌の切り抜きをスクラップしているのを、何度も部屋へ遊びに行っているわたしは知っている。 「ミサちゃん、よく知ってたね。デモ滅コラボのパンなんて」 「今、私が応援してる()がね、デモ滅好きだって公言してて。今朝さっそく、イムスタにパンの写真あげてたの」 ミサちゃんの穏やかな言葉を傍らで聞いていたマチコが、「うぅぅぅうっ」と唸るような声を出す。 「アタシも、発売日にパン買いたかったよぉぉぉ」 「向こう見ずに散財した自分がいけないのでしょ? 反省なさい」 「だってぇぇ。諦めなければいつか推しは出るはずだしぃぃ、違うキャラが出ちゃったときには、そのキャラのペアもそろえてあげないと寂しそうで可哀想だしぃぃぃっ」 「なにその理屈」 よく分からない世界にわたしが頭を掻いていると、「そうね」とミサちゃんが隣で頷いてみせた。 「よく分かるわ」 「よく分かるんだ……?」 「次元は違うとは言え、好きで応援している存在がいるという意味では、私とマチコは同類だもの。だから--ほら、マチコ」 そう、ミサちゃんがカバンから取り出したのは--デモ滅のキャラがパッケージに大きくプリントされた、あんパンだった。 「えっ? なんで……そんな、イイの……?」 「私は、応援している娘と同じ構図でおそろいの写真撮りたかっただけだから」 「え、なにそれ。もしかして、ミサちゃんもイムスタ始めたの?」 「いいえ。SNSとかにアップなんてしないけど、心のカメラロールにはおさめておきたくて」 「へー……」 しみじみと答えるミサちゃんになんて相づちをうったら良いか分からず戸惑うわたしの横で、マチコが「わっしょいわっしょい!」とパンを胴上げしている。 「よく分かんないけど……二人が幸せなら、まぁ良いや……」 ぼやきながら、のろのろと自分の席につくと、斜め前の席に座りながら、ミサちゃんが「あら」と笑う。 「花だって、前はいたじゃない。推し(・・)」 途端、自分の顔がひきつるのが分かって、わたしはそっぽを向いた。窓際の席からは、校庭の様子がよく見える。入学式の頃は満開だった桜も、今は緑の葉がその枝を彩り始めている。 「家守さん、今朝もお元気だった?」 「……いつも通り。お母さんのこと口説いてお父さんとプロレスやってた」 「相変わらず、元気ねぇ」 くすくすと聞こえてくるミサちゃんの笑い声が、やけに意地悪く聞こえるのは、わたしの気のせいではないと思う。 (推し……ね) 実際。ミサちゃんが言いたいことは、よく分かってる。 桜の木が、薄紅色の花で満開だった頃。それも、もう二年も前のことだけれど。 わたしにとっては黒歴史で--家守にとってはきっと、もう忘れてしまったことだろうけれど。 わたしは、我が家に代々とり憑く(・・・・)鬼である家守に、告白をしたことがあった。そして--次の瞬間には、あっさりと失恋をしたのだった。 (「いやぁおまえは無理だわ」……って。子どもの戯言を流すにしてもさぁ、もう少し言いようがあったと思うんだけど) おかげで、そのときのことを思うと、悲しさや腹立たしさよりも、恥ずかしさの方が込み上げてくる。 十何年かけて積み上げてきた情と、身近な年上の異性への憧れがごっちゃになった恋慕のような錯覚は、一瞬にして消え失せたけれど。 (それに、今は--) ふと。窓の外の景色にひっかかりを覚えて、きゅっと目をこらした。 「どうしたの? 花」 黙り込んだのが気になったのか、ミサちゃんがこちらに身をのりだしてくる。 「いや、あのさぁ」 腕がそわりと粟立つのを感じながら。わたしはほとんど独りごちるような気持ちで呟いた。 「なんだろ--アレ(・・)
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