7-3 鬼ぃさん、悔しいです

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7-3 鬼ぃさん、悔しいです

「よーい、ドン!」 そう、中田さんの合図で古賀さんが走り始める。やっぱり足は遅いけれど、中田さんや他のメンバーに教わったのか、身体の使い方が少し良くなっている気がする。 古賀さんが次の女の子に交代し、その子が走り出す。次はわたしの番--後ろに手を伸ばして、バトンを待つ。 何人かのクラスメイトが、グラウンドの端でこちらを見ている。その中には、お昼のときに「手伝う」とか言ってきた(頑として断ったけれど)福庭くんまでいて、チラチラと視界に入ってくる。 (気にしない、気にしない) わたしは、走ることだけ考えないと。 中田さんは、前回わたしのことをやる気がないって怒っていた。そりゃ、全力で走るわけにはいかないけれど。でも、チームに選ばれたからにはちゃんと参加したいし、役割を全うしないと。その気持ちが通じるよう、一生懸命に走るしかない。 「花ちゃん!」 名前を呼ばれて、バトンを持った手がこちらに伸びてくる。それへ手と視線を向けながら、わたしは軽く走り始めた。パンッと、手のひらにバトンが渡される。それをしっかりと握りしめ、前を向いてグッと地面を蹴った。 春の暖かな風が、頬に当たる。息を弾ませて、太ももを上げて、腕を前後に振って。大した距離じゃない。時間にしてもたった数十秒間のこと。でも、こうして繋いだバトンが、チームの勝利を左右する。 わたしだって。その一員として、みんなと一緒に頑張りたい。その気持ちは嘘じゃない。 「--はいっ!」 声をかけて、次のメンバーにバトンを渡す。わたしが運んだバトンは、颯爽と運ばれて行った。 「前回より、タイム速くなってる!」 アンカーとして走った中田さんが、手に持ったタイマーをこっちに示しながら嬉しそうに言った。 「古賀さん、すごく良くなってたよ! その調子っ」 前回はボロクソ言われていた古賀さんも、そう言われてはにかむ。みんな、やっぱり気づいてたんだ。古賀さんの頑張りに。 「山月さんも良かったよ」 中田さんがこちらを向いて、にこりと微笑む。つられるように、わたしもへらりとしてしまう。 「そ、そうかな」 「うん、前回より少し速くなってるし。それに」 中田さんの目が、ちらりとグラウンドの端を捉えた。クラスメイトたちを見つめながら、とりわけ一点(・・)に視線を向けている。 「晴美くんが、言ってたんだ。山月さんもきっと、ちゃんと走れないならなにか理由があるんだろうし。昨日の練習の後もすごい悩んでたみたい、って。それでなんか、昨日はちょっと言いすぎちゃって悪かったなって……実際、今日は速くなってるし!」 「………うん……」 --なんだ、それ。 顔は、微笑みを浮かべて頷いていたけれど。心は固まっていた。 中田さんがわたしを許した(・・・)のは、さっきの走りや頑張りなんて関係なくて。タイムが縮んだことすらたぶん、ほとんど意味はなくて。そんなことよりも、福庭くんのポンと言った一言の方がずっと、中田さんの心には響いていて。 「--じゃあ、今日はそろそろ、終わりにしておこうか」 中田さんがそう言って、みんなが「おつかれー」と歩き出す。古賀さんは、心なし表情が明るく見えた。見学だか応援だかしていたクラスメイトたちが、そこに合流してみんな校舎へと向かっていく。 「ぁ……」 歩き出そうとして、くつひもがゆるんでることに気がついた。その場にしゃがみこんで直していると、足音がこちらに近づいてくる。足音なんてしなくても、その不快な気配で誰だかはすぐに分かったけれど。 「頑張っとったのう、花ちゃん」 そう、明るい声が「おつかれ」と降ってくる。 --おまえが、それを言うのか。 じっと足元を見つめながら、震える指先をなだめつつ、何度もひもを結び直す。その間も、福庭くんは能天気に「みんな上手くいったみたいでえがったのう」だとか「ぐずぐずやっとっても、つまらんし」だとか余計なことを言い続けていて。 「……まだ、時間かかりそうだし。みんな行っちゃったから、気にしないで先行きなよ」 なんとかそう、言葉を絞り出す。けれどやっぱり福庭くんはその場に突っ立ったまま、「いやぁ」と笑った。 「山月さん、不器用じゃのう」 その一言で、目の前がカッと赤くなった気がした。 「--あんたみたいに他人の心が読めたり、なにもしなくてもチヤホヤしてもらえるんだったら。わたしも、もう少し器用にやれたかもね」 そう吐き捨てて立ち上がると、「えっ、えっ?」と戸惑った声を上げながら福庭くんがこっちの顔を覗き込もうとしてきた。 「俺はくつひもの話しとったんじゃけど……花ちゃん、なんか怒っとるん?」 「怒ってなんか……っ」 顔を隠そうとしたけれど、遅かった。福庭くんのきらきらと輝く目が、わたしの目を捉える。 「花ちゃん、なんで泣いとるの……?」 目をまるくして、戸惑った声を出す福庭くんを突き飛ばし、両腕で顔をぬぐって走り出す。ぬぐってもぬぐっても、涙はどんどん溢れてくるけれど。 ぐちゃぐちゃのくつひもを踏んで、つまづきそうになりながら、それでも走り続ける。 気持ちが悪いのはきっと、福庭くんの力に圧されたからだけじゃ、ない気がした。
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