7-6 鬼ぃさん、当たり前のことです

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7-6 鬼ぃさん、当たり前のことです

もしかして、という予感はあった。 放課後、先に教室を出て昇降口に張っていたのだけれど、いつまで待ってもやってこないのにイライラしていたら、ふと。思いついた場所がそこだった。 「--福庭くん」 開け放たれた屋上の扉の向こうに、福庭くんはぼんやりと寝転んでいた。名前を呼ばれても、びっくりはしなかったみたいで。「おう」と返事をしてのろのろ上半身だけ起こし、こちらを見てきた。 「花ちゃん、どうしたん?」 「どうした……って言うか……。福庭くんこそ、こんなとこでなにやってんの」 訊ねながら、少し近づく。一歩近づくごとに、少しぴりりと圧を感じた。 福庭くんはへらりと笑っていて、「なんも」と空を仰ぐ。 「ただ、空を見とっただけじゃ」 「……ふぅん」 目を合わせないからだろうか。なんとなく、近づいても恐怖や圧迫感が、いつもより薄い気がする。 二メートルくらい離れた場所まで来て、わたしはその場に腰を下ろした。 「……あのさぁ。最近、どうしたの?」 本当なら、もっとオブラートに包んで訊いた方が良いのかもしれないけれど。福庭くん相手に、そういうまどろっこしいことをするつもりはさらさらないし、時間もそんなに取りたくない。 福庭くんは直球な問いかけに少し目を大きくすると、「うーん」と唸って頭を掻いた。 「花ちゃんにはそういうの、訊かれんと思っとったわぁ」 「まぁ、わたしも訊く気はなかったんだけど」 正直に言うと、福庭くんは「わははっ」と笑った。 「なら、どうしたん? 急に」 「どうかしたのかは、こっちが訊いてるんだって……ほら、みんな心配してるし。でも、誰もどうしたか知らないみたいだったから……もしかして。わたしくらいにしか、言えない悩みだったりして……とか」 そう言うのを、福庭くんは黙って聞いていたのだけれど。ふっとその笑顔が歪んで、「参ったのう」と自分の前髪をつかんだ。 「……分からんのじゃ。俺も、こういうことは初めてじゃけぇ」 「こういうこと?」 福庭くんの目が、一瞬こちらを見たかと思うと、つと反らされた。反らされたまま、福庭くんが続ける。 「……怖いんじゃ」 「怖いって……なにが?」 あんな、ゴーイングマイウェイを体現したかのような福庭くんが、怖がるものなんて。想像もつかないわたしを、福庭くんは「ふっ」と笑った。 「--花ちゃん」 「ん?」 「花ちゃんのことじゃけぇ、怖いのは」 意味が分からず、きょとんと見返す。だって、つい先日まで好き勝手やりながら無闇に近づいてきてたのは、そっちじゃない。 「この前、花ちゃん泣いちょったじゃろ」 「え? あぁ……アレね?」 思い出して、鳩尾がぐずりと痛む。そう言えば、福庭くんとはあのリレーの練習を以来、まともに口をきいていなかった。 「アレは……なんて言うか、その」 「俺は。あのとき本当は、花ちゃんに喜んで欲しかった」 福庭くんの声は。まるでこちらを、なじるようで。拗ねる小さい子みたいに、福庭くんは続ける。 「中田さんが、花ちゃんにイライラしちょるのが分かっとったけぇ、なんとかせんとって。それなんに……中田さんのイライラが直ったのは分かるんに、花ちゃんは……喜ぶどころか、怒って、泣き出したじゃろ」 「……まぁ」 思い出せば。今だって、心がぐしゃりと痛む。わたしの努力も、想いも。福庭くんという存在の前では、意味のないものになってしまったという虚しさ。 なのに、その(・・)福庭くんがうなだれるようにして、呟く。 「--笑わせたいのに泣かれるっちゅうんは、怖い」 「……」 「花ちゃんがなにを考えとって、なにをどうしたいんか、さっぱり分からん。その上、これまではみんな、なにもせんでも俺を好いてくれたんに、花ちゃんは俺を睨む」 「……それが良いんじゃなかったの?」 なんだかおかしくて、我ながら意地悪く笑ってしまう。福庭くんはあくまで真剣な顔のまま「あぁ」と頷いた。 「……実際、怖いもんなんじゃのう。相手がなにを考えているのか、分からんっちゅうことは」 しみじみと。あまりにも、真剣にそんなことを言うものだから。 「……良かったじゃん」 「うん?」 「そんな当たり前なことが分かって、良かったじゃんって言ってるの」 こっちの言ってる意味が分からないのか、福庭くんはぽかんとこちらを見つめ返してきて、今にも首を傾げそうだった。 --ムカつく。 この人は。こっちの気持ちを全く考えもしないで、ただめちゃくちゃに踏みつけていって。その上で、自分の思った通りにいかなければ「怖い」って被害者面。 こんなの、ただのハタ迷惑な子ども(ガキ)でしかないじゃない。 一歩近づいて、福庭くんの腕をむんずとつかむ。じわっと手が痛んだけれど、そんなことどうでも良い。つかんだ手の、手のひらをわたしの胸に押し当てる。 「な……っ」 「わたしが今、なに考えてるか分かる? 分かんないでしょ。こうやって胸に手を押し当てたって、普通は誰の心だって読めないもんなの」 「う、ん」 「それが普通であたりまえだから、みんな相手の気持ちを少しでも知ろうと、顔や身振りから読み取ろうとしたり。逆に、 自分の気持ちをどうにか伝えたくて、行動や言葉で示すわけっ」 「……っ」 ようやくそこで手を放し、目をぱちくりさせている福庭くんに笑いかける。もちろん、優しい笑顔なんかじゃないけれど。 つかんでいた手どころか、胸までじりじりと痛みを感じるけど、それもどうでも良かった。 「分からないのは怖いけれど、だからこそ伝え合おうとするの。そこで怖がって向き合うのを止めたら、分からないまま、なにも変えられないから」 「なにも……変えられない……」 「そうだよ。もちろん、相手の嫌がることは論外だけどさ。それだって、ちゃんと相手の気持ちを読み取る努力をしなきゃ、嫌がってることすらキャッチできないんだから。誰かと向き合うっていうのは結局、それだけの努力を割こうと思えるくらい、相手に関心がなきゃできないことなんだよ」 福庭くんは、相変わらずポカンとした顔で聞いていた。 そりゃ、そうだろう。裏を返せば、福庭くんはこれまで、そんな努力をしようと思う程、他人に関心をもってこなかったっていうことなんだから。関心をもたなくても、相手に好かれ、嫌われることもなかったんだから、当たり前なのかもしれないけれど。 そんなことを考えていると。ふと、福庭くんがわたしにつかまれた手をじっと見つめて呟いた。 「……じゃあ。俺は花ちゃんに一歩向き合えたってことなんかの」 「ん……?」 「泣いてる花ちゃんを見て、怖くなったけぇ。これって、花ちゃんがなにかを嫌がったっていうサインを、キャッチできたってゆうことじゃろう?」 ……えぇっと、相手に働きかけたら、思ったような反応じゃなくて「怖い」と感じたのは……相手に対してそれ以上の労力を割きたくないって気持ちの現れなんじゃないの? あれ? でも、全く関心がなければ相手がどんな反応をしようと「怖い」なんて思いもしないのかな? てゆーか、そもそも、関心がなかったら、なにかしようとすら思わないわけで……。 「--まぁ、スタートラインには立てたんじゃないの?」 わたし自身、混乱してきたのを知られるのはなんだかしゃくで、ツンと突き放して言ってやったつもりだったのだけれど。 福庭くんは笑みを深くして、こちらを見つめながら、もう一言つけ加えた。 「それってつまり、走り出さんとダメってことじゃの」 (んん……?) 福庭くんがあんまりにも元気がなくて。他に相談できる相手がいないなら、話を聞いてあげるくらいしてやろうかとは、思ってはいたけれど。 すっかり、いつもの笑顔を見せる福庭くんを見ていたら、そんな甘い考えはどこかに吹っ飛んでしまった。 せっかく、安穏とした日々を手に入れていたのに。 --もしかしてわたし、余計なこと言っちゃったんじゃない?
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