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9-1 鬼ぃさん、よーいドンです
パァンッ、という乾いた音が晴れた空に響き渡ると同時に、スタートラインに立つ生徒たちが一斉に走り出した。
「頑張れぇっ! ミサちゃん、マチコっ」
周りの声援に負けないよう、声を張り上げる。二人三脚で足を縛り、肩を組んだ二人は、せっかちなマチコと運動がそんなに得意ではないミサちゃんとのペースがちぐはぐで、何度も転びそうになりながら別のペアと最後尾争いをしていた。
体育祭、当日。
会場であるグラウンド内では、一年生から三年生までがそろって、クラスごとに得点を競い合っている。優勝したクラスには基本、優勝トロフィーが贈られるだけだが、ほとんどのクラスが内々に「優勝したら旨いもん食わしてやる」という約束を担任と結んでいることもあり、案外に盛り上がっている。うちのクラスも例に漏れず、熱血な担任が「優勝したらたい焼きをおごってやる」と公約を掲げ、「ショボすぎる」とブーイングを食らっていた。
特に今年が最後の三年生クラスは、それぞれ「フライドチキン」だとか「限定生産の生メロンパン」だとか、割りと良いモノの公約を結んでいるところが多いらしく、うちなんかとは気合いが違う。
おかげで、二人がそのまま実際に転んだところで「あはは」と笑う余裕がクラス全体にあるため、楽しんで応援することができた。最下位で帰ってきた二人は「ごめんー!」と手を合わせていたけれど、それも「良い転びっぷりだったよー」などと笑って迎えられる。
「ケガはなくて良かったね」
そう言うと、ミサちゃんは「ケガはないけど、恥ずかしくて顔から火が出るかと思った……」と顔をおさえていた。
ミサちゃんには、鬼の力が増しているという話は、結局していない。
(もし……わたしが本当の鬼になっちゃったら、ミサちゃんはどんな反応するんだろ)
ミサちゃんのことだから、大きく態度が変わるということはなさそうだ。一緒に遊んだりとかもしてくれるだろうか。その場合、わたしがミサちゃんをケガさせないように、今度こそ気をつけないと。
マチコは、「かっこいい!」と喜ぶかもしれない。興奮している姿が、簡単に思い浮かんでしまって笑っちゃいそうになる。
--二人とも、そんな良い友達だから。もし鬼にもならずにわたしが死んでしまったら、悲しんでくれるかな。泣いてくれるかな。でも死んでしまったら、悲しい想いをさせたことも謝れないんだよな。
「ねぇ、花たん! 借り物競争始まるよッ」
ふいに現実に引き戻されて見ると、確かに借り物競争に出る選手たちが入場しているところだった。
その中に、福庭くんの姿もある。相変わらず、男女問わずにクラスメイトたちから黄色い歓声を送られて、へらへらと手を振って応えている。
(花ちゃんが鬼になんなら、俺は神様にでもなれば良いじゃろ。花ちゃんのことは、俺がなんとかしちゃる)
不意に、耳元にあの日の言葉がよみがえってきて、思わずびくりと背筋を伸ばす。
(あれ……どのくらい、本気だったんだろ……)
思えば。
福庭くんはずっと、わたしに近づいてくれようとしていた。同じような境遇だから。福庭くんの力が通じないから。--それだけじゃ、なくて。
また、合図と共に競争が始まる。借り物競争は変わり種競技扱いなせいか、放送席から流れてくる実況もテンションが高い。
一チーム目、二チーム目が終わり、福庭くんがスタートラインにならぶ。
合図で走り出した福庭くんは、思ったよりも足が遅くて。それでもふざけた様子もなく、表情から一生懸命なのが伝わってくる。リレーの練習初日、中田さんが言っていたのは、結局こういうことなんだろうなとぼんやり思った。
--福庭くんは、二度目の屋上で言った。わたしのことを、笑わせたかったんだって。それなのに泣くわたしを見て、接するのが怖くなったって。
あのときは、自分の頑張りをひょいっと越えていってしまう福庭くんという存在に、苛立っていたけれど。今なら、もう少し冷静に、あの言葉を受けとめることができる気がする。
わたしを笑わせたかったって--そう思ってくれた、優しさを。怖いと怖じ気づいた、繊細さを。
それでもまた、踏み込んでくれようとする、強さを。
「--ッ花ちゃん!」
いつの間にか、目の前に福庭くんがいた。こちらに向かって、手を伸ばしながら走ってくる。もう一方の手に持った紙切れをこちらへ示しながら。
「来て!」
「……っ」
半分くらい白昼夢を見ているような心地のまま、差し出された手に、自分の手のひらを重ねる。グッと力強く握られ、引かれるがままに走り出すと、クラスメイトから「行けぇっ」「頑張れー!」と応援の声が上がった。不思議と悲鳴もちらほら聞こえ、会場全体が沸いている気がするのは、高揚感のせいだろうか。
まっすぐ前を見ながら走っている、福庭くんの後頭部を見つめる。初めて、その首の後ろに、小さなほくろがあることを知った。
福庭くんのことは、まだまだ知らないところだらけで。それはわたしが、これまで見ようともしていなかったからで。それが無性に、もったいなく感じる。
二位でゴールにたどり着くと、息を弾ませながら福庭くんが振り返った。
「やったな!」
ニカッとしたその笑顔は、今まで見てきたヘラリとした笑顔とは違って、うっかりドキリとしてしまう。
「……借り物、よく見えなかったんだけど。なんだったの?」
ついっと目をそらしつつ訊ねると、「なんじゃ、聞いとらんかったんか」と改めて紙切れを広げて見せてくれた。今度は、顔が一気に熱くなる。
握りしめられてくしゃりとなった紙には、「仲良くなりたい人」と書かれていた。
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