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9-3 鬼ぃさん、鬼です
まだ、小学生だったあの日。
なにがきっかけだったのかも、もう覚えてすらいない。そんな些細な喧嘩の中で、感情をコントロールできなくなり、鬼の力で友人を傷つけた。
両親と家守に連れられて、謝りに行ったけれど、上手く言葉が出てこなくて。すごく怖くなってしまって。わたしは結局、大人たちの後ろに隠れて震えていた。
ミサちゃんは、そんなわたしの方へ軽々と歩いてきて。喉がつっかえて、なにも言葉が出ないわたしの頬を思い切りひっぱたいてきた。
パンッという派手な音に、様子を見守っていた大人たちまでびっくりしていたけれど、当のミサちゃんは綺麗に微笑んで「これでおあいこね」と言った。
--その日からわたしとミサちゃんは、「仲の良い友達」から「親友」へと変わった。
※※※
「--ミサちゃん!」
見つけたとき。ミサちゃんは、誰もいない校舎裏で、頭を抱えるようにして一人うずくまっていた。
「ミサぴょん、こんなトコでどうしたん? 具合でも悪いの?」
そう、近づくわたしとマチコに「来ないで!」と、強い言葉が飛んでくる。
「……来ないで……」
今度は、弱々しく。腕の隙間から、ちらりと見える目は、ちらちらと揺れている。
「……どうしたの? ミサちゃん」
いくらなんでも、様子がおかしい。具合が悪いんだったら、あんな大きな声は出なさそうだし、ここで一人うずくまっているのだって変だ。
「なにか……あったの?」
「--いつから」
ぼそりと。聞こえてきた声は、いつもよりも低かった。
「え?」
「いつから……福庭くんに触れるようになったの……?」
訊ねられたことの意味がつかみきれなくて、わたしはしばらくキョトンと固まった。マチコが「なに言ってんの?」と言うのを聞いて、ようやくハッとする。
「あ……アレはね、その。少し前から、触っても、その……痛いのが、減って」
福庭くんが初めて家を訊ねてきた日。福庭くんの力との反発については、ミサちゃんも話を聞いていてくれた。そもそも、鬼の力を強くするのはどうかと最初に言い出したのは、ミサちゃんだ。だからこそ、本当に鬼の力が強まってしまった今、心配をかけたくなくて、敢えて黙っていたのだけれど。
「なんで、なにも言ってくれなかったの……?」
うずくまったまま、ミサちゃんがボソボソと続ける。
「私、花のことすごく心配してたのに。それなのに、のけ者にして」
「のけ者なんて……そんなつもりじゃ」
もしかして、それでミサちゃん怒ってるの? わたしが、福庭くんと一緒に花ちゃんを仲間はずれにしたって?
「わたしはただ、ミサちゃんに心配かけたくなくて……」
「心配もさせてもらえなくなったら、なんのための友達なのっ!?」
悲鳴のようなミサちゃんの声が、鼓膜に響く。
「小さい頃から、私はずっと花の味方だって……私だけは、花の全部を知っていて、そばにいるって。そう思っていたのにっ」
「ミサちゃん……」
それは、確かにそうなんだけど。わたしにとってだって、ミサちゃんはやっぱり特別な親友なんだけれど。
「あいつが……福庭くんが来てから、花ずっとおかしいんだもの。やけに福庭くんのことを気にして、自分と比較してみたり。私がいくら言っても、ずっと意識してて」
「アレは……」
そう言えば、福庭くんが来るようになったばかりの頃、ミサちゃんが怒っていた時期があったっけ。
アレは、わたしがミサちゃんの言うことを聞かないで、福庭くんを気にかけてたからだったの……?
「かと思ったら、いつの間にかどんどん距離を縮めてて。福庭くんなんか、花に対する呼び方まで変えて--花も、あんなに嫌そうにしてたのに、だんだん親しげな態度になっていって!」
ミサちゃんの口調は、強くなっていくばかりで。わたしに口を挟ませる余裕も、作ってくれない。
「挙げ句の果てにさっきの--とか。あれだけ、寄ると気持ちが悪くなるとか悩んでたくせに、知らない間に二人の世界まで作って……」
「え、いや。そんなつもりじゃ」
ミサちゃんの口から聞くと、いたたまれないやら恥ずかしいやらで、なんと言ったら良いか分からなくなる。ミサちゃんからすれば、心配していたことがいつの間にか解決していて、それも知らされてなくてって状況で。それは確かに、気持ちとしては嫌になって当然なんだとは、思うけれど。
「なんだ、ミサぴょん。福庭に嫉妬してんの?」
あっさりとした口調で、そんなことを言い出したのはマチコだった。「え」と訊き返す 前に、マチコは続ける。
「ずっと仲良かった花たんを、福庭に盗られた気分なんでしょ。それで、体育祭中にこんなとこ引きこもってたの?」
「ま、マチコ。そんな……ミサちゃんは、わたしが最近具合悪くなることが多かったから、ずっと心配してくれてて」
マチコは鬼の力について、なにも知らない。どう説明したものかと悩み、言葉を選びながら話していると。
「私のことも……そうやって、蔑ろにしてたのね」
いくぶん、淡々とした調子でミサちゃんが言う。声音は大人しいけれど、そのままにしてはおけない内容過ぎて、「そんなんじゃないよっ!」とこっちが怒鳴るように言ってしまった。
「蔑ろとか、そんなんじゃ……!」
「ミサぴょん、いい加減にしようよ」
マチコがそう、ため息をつく。頭を掻きながら、少し呆れたように。
「『全てを明かすのが必ずしも、友の証となるとは限らない』--友達だって、なんでもかんでも隠しごとなく話す、ってモンでもないじゃん。言わないことがあるなら、なんか理由があるんでしょ? どうしたん、普段のミサぴょんなら、そんな子どもっぽい拗ね方しないでしょ」
普通なら、気を悪くしそうなものなのに。マチコの言葉にはむしろ、優しささえ感じられた。
「マチコ……マチコって、あんがい大人だったんだね……」
「全ては卯月様の教えのままに」
神妙な顔をして応えるマチコに、わたしが拍手をしていると、バチリと頬になにかが当たった。
「痛ッ」
マチコにも当たったらしい。「いでで」とおでこをおさえている。
まさかミサちゃんが投げつけてきたのかと思ったけれど、ミサちゃんはうずくまったままだった。同じことを思ったらしいマチコも、怒鳴ろうとした姿勢で固まっている。
「……マチコには分からない……」
ぽそりと。ミサちゃんの声が聞こえてきた。
「好きな人が盗られたのに、結局漫画に逃げられるマチコには分からない」
「はぁっ!? それは聞き捨てならないんだけどっ!」
これは本気で怒った調子で、マチコが怒鳴る。中指でも立てる勢いだ。
「好きな人云々はなんかもーどーでも良いケドっ! 漫画は別に逃げじゃないしっ推しはアタシの生き甲斐だしっ!? 優先順位が違うだけだっつーの! てか、アンタだって推しがいるんだから分かるでしょっ!?」
思わず拍手をしたくなるようなマチコの言葉に、ミサちゃんはようやく顔を上げた。
「推しなんて……私にとっては、この気持ちを圧し殺すための、仮面だから」
「……ミサちゃん!?」
ようやく見られたミサちゃんの顔に、思わず唖然とする。隣でマチコも、口をパクパクとさせていた。
「マチコにとって、生き甲斐が推しなんだとしたら。私にとって本当の推しは、花だもの。ずっとずっと。傷をつけられたその日から--私の心にはずっと、花しかいなかった」
そう、泣きそうな声で言うミサちゃんの目は、瞳まで深紅に輝いていて。額から突き出た二本の小さな角は、まるで--鬼、そのものだった。
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