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1-4 鬼ぃさん、化け物です
わたしたちが席についたと同時に、授業開始のチャイムが鳴った。なんとか滑り込んだことにホッとはしたけれど、美術室の縦長なテーブル席だと、後ろの席にいた福庭くんが隣の席になるようで、思わず一瞬、身体がびくりと震えてしまった。
人懐こい笑顔でひらひらと手を振ってくる彼に、ひきつってしまう笑顔をなんとか返したところで、先生が来た。心底ほっとして、前に向き直る。
そうだ。福庭くんのことはよく分からないけれど、それなら気にしすぎないようにやり過ごせば良いんだ。別に席が近くたって、そのうち席替えとかあるだろうし。適当に距離を保っていれば――。
と。そう思っていたのに。
「俺、絵心ないけぇ、美人に描けんでもカンベンな」
「……別に良いです」
何故か人物画が授業の課題となり。
何故か席の左右でペアを組むことになってしまったため。
わたしは福庭くんと、至近距離で見つめ合うはめに陥ってしまった。
正面から向き合うと、福庭君からあふれ出る違和感オーラがものすごくて、息苦しいくらいだ。鳥肌が立ってしまうのをなだめようと、腕をさすっていると「寒い?」と心配されてしまった。
「山月さん、このままじゃと、つむじしか描けんのじゃけど。顔上げてくれん?」
「……はい」
顔を上げると、オーラをもろにくらう感じがして、辛いんだけど――それはわたしの都合で、福庭くんが悪いわけじゃない。仕方なく、おずおずと顔を上げる。
「ッ⁉」
「なんじゃ。やっぱり、目鼻立ち全然ちごうとるわぁ」
こちらへ身を乗り出していた福庭くんの顔が、思った以上に近くて。背中にぞわっと寒気が広がるのを感じながら、「描き直しじゃぁ」とスケッチブックをガシガシ消しゴムでこすっているその姿を見つめ、数秒固まってしまった。
――ダメだダメだこんなんじゃ! これから一年、同じクラスで過ごすのに、こんなことくらいでフリーズしてたらダメだ!
ハンカチで冷や汗を拭って、鉛筆を持ち直す。
顔以外は気にしない、と自分に言い聞かせて、ようやくまじまじと、福庭くんを見つめた。
どちらかというと塩顔で、あっさりとした顔立ちだ。こうしている間にも口角が上がっていて、笑っているように見える。反対に目じりは垂れていて、つり目がちなわたしとは真逆だ。最初に薄い色だなと感じた瞳は、よく見ると不思議な色味をしていて――エメラルド? そんな、宝石を散りばめたみたいに、キラキラしていて。吸い込まれそうで。魂が、抜き取られてしまいそうな――。
「山月さん?」
名前を呼ばれて、ハッとする。眉をㇵの字にした福庭くんが、こちらを見ていた。気がつけば、わたしは全身ぐっしょり汗をかいていて、ガタガタ小さく震えていた。
「大丈夫?」
「っだ、大丈夫……」
なんとか声を絞り出して答えるけれど、福庭くんの眉はㇵの字のままだ。
「先生ぇ、ちょっと」
福庭くんが手を挙げると、「どうしました」とにこにこ先生が近づいてくる。きっと、絵の質問かなにかだと思ったんだろう。福庭くんが「山月さんを、保健室連れてきたいんですけど。具合、悪そうなんで」と言うと、驚いた顔でこちらを見た。
「確かに、顔色が悪いですね。大丈夫ですか? 山月さん」
「は、はい。あの」
「大丈夫じゃないじゃろ。ほれ」
そう、福庭くんが手を差し伸べてくる。このまま拒否していると、腕とかつかまれそうな気がしたので、しぶしぶ立ち上がることにした。足が、少し震えている。
クラスメイトたちの視線を感じながら美術室を出ると、扉を閉めたところで「ん」と福庭くんが手を差し出してきた。
「辛かったら、つかまってえぇよ」
「……大丈夫です」
答えた途端、福庭くんは口を尖らせて、「辛かったらいつでも言ってな」と歩き出した。
「大丈夫か、って訊かれて、大丈夫って答えるやつは、大丈夫じゃないって。親父が言っとったけぇ」
「……あの。保健室、そっちじゃないです」
反対方向に歩き始めた福庭くんにそう告げると、「ありゃ」と変な声を上げて小走りにUターンしてきた。
「せっかくカッコつけたのに、だいなしじゃのう」
「いや、あの。福庭くん、今日から来たばかりだし……」
きっと、良い人なんだろうな、と。そう思いながら、また前を行く福庭くんの、数歩後ろを行く。本当は、校舎内を覚えているわたしが前を行くべきなのかもしれないけれど、一応引率される側の立場だし、なにより今、福庭くんに後ろに立たれると、背中に包丁でも突きつけられてる感覚になる。もちろん、福庭くんにそんなつもりはないんだろうけれど--多分。
福庭くんと距離をとって歩くと、足の震えもマシになってきた。本当に、わたしの身体は福庭くんを拒否しているんだなと感じて、なんとも微妙な心地になる。
「山月さんは、よく体調崩すタイプなん?」
「え? や、そんなこと、ないけど」
「ふぅん……でも、今朝からなんか、ずっと顔色悪いじゃろ。具合悪いなら、無理して学校来たらいけんよ」
「はぁ……」
いやあなたのせいですよ、とも言えず。あいまいに笑ってごまかそうとすると、「それとも」と福庭くんが振り返った。
「山月さん。なんか、隠しとるじゃろ」
「え? 隠してる、って……?」
ひくっと。口元が引きつる。福庭くんの顔は、相変わらずにやけたような顔で。きらっと角度によって耀く目が、こちらを試すようにじとりと見つめている。それは、さっきまでよりも断然、恐ろしくて。
思わず一歩後ずさるわたしの手を、福庭くんがパッと取った。途端、ビリッとした衝撃が、つかまれたところを中心に起きて。
「っひ!」
反射的に振り払うと、福庭くんも目を見開いてこちらを見ていた。その目に--二つに結んでいたはずのゴムが切れて、髪が逆立っているわたしが映っているのが、見える。
「ぁ……」
「……ぶち強い静電気、ってわけじゃあないんじゃの」
つかまれていた腕が、熱く痛い。福庭くんも手をかばっているくらいだから、きっと同じように痛いんだろう。
「山月さん。あんた、バケモン--」
「っやめて!」
耳をふさぎ、わたしはそのまま近くの窓へと身をのり出した。後ろで福庭くんがなにかを言っているみたいだったけど、そんなのはもう耳にも入らず、勢いのまま飛び降りる。
わたしたちがいたのは二階だったけれど、それくらいなら問題なく着地できる--できてしまう。そのことは、よく分かっていた。
(知られた--)
無事に着地したわたしは、溢れる涙を袖口で拭いながら、思い切り駆け出した。誰もいない校舎の裏を、全速力で駆けながら--先程の福庭くんの言葉を思い出してた。
--バケモン。
知られた。知られてしまった。
そう--我が家にいる化け物は、鬼である家守だけじゃない。
わたしもまた、人ならざる力をもった--化け物なのだ。
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