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10-6 鬼ぃさん、手をつないで
目を覚ますと、広い背中に負われていた。優しい揺れと、心地よい温かさに目をつぶって、相手の肩の方へ回されていた腕にぎゅっと力を込める。
「なんじゃ、起きたんけぇ」
無意識に想像していたのと違う声がして、びくりと身体を起こしかけると、そのままそっくり返りそうになる。
「ちょ、危ないじゃろうがっ」
「だ、だって! ぇぇッ⁉」
わたわたと姿勢を直してると、「いててて」と福庭くんがうめいた。
「爪が刺さっとる、刺さっとる」
「あ、ご、ごめん」
尖った爪。それをじっと見つめてから、そっと体勢を直す。周りを見ると家へと向かう道で、太陽はだいぶ斜めの位置になっていた。
「……体育祭は?」
「さすがに今日は休んどいた方が良いじゃろ。俺も……まぁ、ちと無理したしな。二人そろって早退じゃ。言い訳は、方丈さんとマチコにお願いしちょる」
「そっかぁ……二人とも、無事……だったんだね」
クラスのみんなのところに戻れるくらいだし、怪我もないんだろう。良かった。本当に良かった。そう思ったら涙が出てきて、福庭くんの背中を濡らしそうになる。
「でもリレー……出たかったなぁ」
「なんじゃ、はじめは借り物競争に出たい言うとったじゃろうが」
「いや、そうなんだけど……参加することに意義があるっていうか……わたしだって、こう……ちゃんと役割を果たしたかった、みたいな」
練習だって頑張ったのにな。せっかく、チームのみんなとも良い感じになってきたのに。
「しゃあないって。そういうこともあるじゃろ。来年また、頑張ったらえぇ」
「うん……そう、だね。……なんか、福庭くんおじいちゃんみたいだね」
「前はおっさんで、今度はおじいちゃんか……どうせ歩き方もよぼよぼじゃしのう」
ごほっ、ごほっとわざとらしく咳をする福庭くんに笑いかけ――ハッとする。
「ごめん、よぼよぼなのって、わたしのせいだよね」
「ん? あぁ、こんなの、勲章みたいなもんじゃ」
「勲章って」
「好きな女の子助けようとしてできた傷じゃけぇ、紅綬褒章とかもらってもえぇじゃろ」
「それはよく分かんないけど……」
言いかけて。言われた言葉の意味が、遅れて頭に浸透してくる。
「え、え……好き、って」
待て待て待て落ち着けわたし。あのとき福庭くんは、ミサちゃんとマチコを庇おうとしてたし、えぇっと。
「言うとくけどなぁ、俺が好きなんは、花ちゃんじゃぞ」
「――っ」
ストレートな言葉が、ぐさりと胸を刺す。
「なんで……だって、わたしなんて」
「だってもなんもあるか。好きなもんは、好きなんじゃけぇ」
「でも、でも……ッ」
今度こそ、涙があふれて止まらなくなる。
わたし、いっぱい嫌な態度を取っていたのに。あんなに、福庭くんを傷つけたのに。
「こんな、鬼になんかなっちゃって……来年どころか、これから、どうしたら良いかも分かんないのに……ッ」
嬉しいのと苦しいのとで、胸がいっぱいになる。「大丈夫じゃろ」と、やけにのんびりした声が、それをふっと軽くする。
「俺は神様じゃし。それに、鬼と神様の夫婦なんてなんだかカッコいいしのう。まぁ、なんとかなるけぇ」
カラカラと明るい笑い声に、ついつられて口元がほころんでしまう。
「なに言ってんの。夫婦とか――そんなの、家守が聞いたら……」
瞬間。頭に浮かんだのは、この右手が貫いた、家守の姿で。
家守が――。
「聞いたら、ぶん殴るに決まってるだろう」
声と共に、目の前の福庭くんの頭に、ゲンコツが落ちてきて。「ぐぎゃっ⁉」とカエルが潰れるような悲鳴が上がる。
「家……守……?」
「なんだ、そんな幽霊でも見たような顔して――花」
ちょっと機嫌悪そうに。こちらを振り向いた家守が、眉を寄せて言う。
「だって……だって死んじゃったって……ッ」
「身体に穴が開いたくらいで死ぬか。鬼をなんだと思ってんだ。化け物だぞ」
「丈夫じゃのう……」
「さすがにまだ塞がりきってないから、こいつに背負わせてたけどな。ずっと後ろをついてきてたんだよ」
ぐりぐりと福庭くんの頭に拳をねじり込みながら、家守が少しだけ笑う。
「もう、もう……っもぉぉぉお~」
「あーあー悪かったっな。泣くな泣くな。ほれ」
右手をそっと、家守の大きな手が、包み込むように握ってくれて。それをぎゅっと、つなぎ返す。
「……守ってくれるって、言ったくせに。無事なら、なんで」
「悪かったな。己も、そのつもりだったんだが――おまえを守るのはもう、己じゃない方が良さそうだったからな」
そう呟く家守の目は、福庭くんの頭を見ていた。
「人間が強くなれるのは、だいたい、外にいる誰かのためだ。外に目を向けることで、未来は広がっていく。それは、昔からおまえの家族である、己の役割じゃないんだろうな」
「家守……」
「つまりそれは、娘さんをお嫁さんにくれるって、認めてくれる言うことで――」
全部言い終わる前に、福庭くんの頭に再びゲンコツが落ちた。
「だがな。己たち家族はいつだって、おまえが戻ってこられる居場所だ。いつでもここにいる。どこにもいかない。だからおまえは、安心して自由に外へ行っても良いし、疲れたら帰ってくれば良い」
ぎゅっと握りしめられた手に、自分の手を重ねる。温かい手。大好きな手。わたしの居場所――。
「……わたし、家守が家族で、本当に良かったよ」
「あぁ。己もだ」
手をそっと放して、福庭くんの肩に置く。こうして離れたとしても、感じたあの優しさと安心感は、この手のもっと奥に残っている。
きっと、あの鬼の「わたし」は消えてなくなったわけじゃない。そのうちまたひょいと、顔を出すかもしれない。
でもきっと大丈夫。わたしは、この温かな背中のために、今度こそ負けない。何度だって、負けたりしない。もう絶対に、傷つけたくなんてないから。
それに――もう知っている。わたしには、大好きな友達や大切な居場所があるっていうことを。例え、身体が鬼に代わってしまったのだとしても、それは揺らがない。
だから大丈夫。きっとこれからも、前を向いて行ける。大切な人たちと一緒に。
わたしは――わたしたちは。
「――なぁ」
福庭くんがこそっと、囁くように声をかけてきた。
「改めて、よろしく」
まるでそれは、新しい出会いのようで。なんだかおかしくなって、それ以上に愛おしさがこみ上げてきて。その背をぎゅっと抱きしめた。
「こちらこそ、よろしくね」
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